近田豊年
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近田 豊年(ちかだ とよとし、1965年12月11日 - )は、高知県宿毛市沖の島出身の元プロ野球選手(投手)、ゴルフレッスンプロコーチ。
注釈
- ^ 1人で壁当てをやる時に、シャレで本来の左投げではなく右でも練習していたことが、右でも投げられるようになったきっかけという説もある。
- ^ あくまでもこの段階では申し合わせであり、ルールとして明文化されたものではなかった。その後、近田と同じ両投げ投手のパット・ベンディットが米マイナーリーグでデビューした際、スイッチヒッターとの対戦という同様の条件下でトラブルが発生したことから、この申し合わせと同じ内容の条項が所謂「パット・ベンディット・ルール」として正式にメジャーリーグのルールに追加され、これに伴い日本の公認野球規則の改定も行われた。
出典
- ^ “20年ぶりのスイッチピッチャー登板はあるか!?”. BASEBALL KING (2015年1月24日). 2017年1月12日閲覧。
- ^ a b 山口真司 (2023年1月4日). “「無理でもやろうと」目指した合計266キロ 元両投げ投手が56歳で挑んだ“世界記録””. Full-Count (Creative2) 2023年3月24日閲覧。
- ^ a b 思わず「僕、右でも投げられます」 テスト合格で騒動に…前代未聞の“両投げ投手”Full-Count
- ^ https://web.archive.org/web/20161108232328/https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/612528/
- ^ 朝日新聞2011年06月29夕刊
- ^ 山口真司 (2022年12月31日). “帰国して絶句「チームに籍がなかった」 伝説の両投げ投手…待っていた“幽霊扱い””. Full-Count (Creative2) 2023年3月24日閲覧。
- ^ a b c “近田 豊年”. 梅田駅前ゴルフスクール. 2021年7月8日閲覧。
- ^ “チーム情報 2007年 登録・変更情報”. 日本野球連盟. 2017年11月19日閲覧。
- ^ 山口真司 (2023年1月2日). “引退から13年後、楽天監督に「右でも左でも…」 “両投げ投手”が目論んだNPB再挑戦”. Full-Count (Creative2) 2023年3月24日閲覧。
- ^ “連載コラム 「続・第二のプレイボール」 |Vol.1”. 神戸っ子 (2018年1月). 2021年7月8日閲覧。
- ^ 近田豊年 [@0301Ofkyuma] (2021年3月3日). "この夏、左右両手投げでどちらも130km投げられるギネスに55歳で挑戦しようと思って今日からトレーニングスタート😀". X(旧Twitter)より2021年7月8日閲覧。
- ^ ““日本人初”のスイッチピッチャーがギネス挑戦! コロナ禍で勇気づけるべく「56歳でも…頑張ります」”. スポーツニッポン. (2022年9月8日) 2023年3月24日閲覧。
- ^ 楊枝秀基 (2022年11月4日). “NPB唯一のスイッチピッチャー・近田豊年さんの挑戦 「令和の左右二刀流」出現に夢つなぐ”. 東京スポーツ 2023年3月24日閲覧。
近田豊年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 09:58 UTC 版)
1965年(昭和40年)12月11日生まれ。日本プロ野球初にして唯一の両投げ登録の投手。当初は左投げだったがグラブがないため中学では右投げ、高校時代には左投げが主だった。南海ホークスの入団テストでは両投げを披露したが入団後には左投げを中心とした練習を行い、唯一の一軍登板では右投げのみだった。
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