辺見 マリ(業務提携)
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芸名 | 辺見 マリ(業務提携) |
芸名フリガナ | へんみ まり |
性別 | 女性 |
生年月日 | 1950/10/5 |
星座 | てんびん座 |
干支 | 寅年 |
血液型 | B |
出身地 | 京都府 |
身長 | 162 cm |
体重 | 52 kg |
URL | http://www.fj-p.co.jp/FPTALENThenmi.html |
デビュー年 | 1969 |
プロフィール | 1969年に『ダニエル・モナムール』でデビュー。翌1970年、20才の時に発売した『経験』での溜息混じりの歌い方が話題になり、大ヒットを記録。同年、日本レコード大賞、日本歌謡大賞、有線放送大賞などの新人賞を総ナメに。また3枚目のシングル『私生活』で、NHK『紅白歌合戦』に初出場。セクシー歌謡の歌手として認知される。翌年、デビュー2年目にして引退。西郷輝彦と結婚。1981年に離婚。1979年にフジテレビ『ズバリあてましょう』のレギュラー司会として出演し、芸能界に復帰。1990年~1991年で20キロのダイエットに成功し話題となる。1993年、ダイエットサロン「ダイエット プロジェクト ヘンミマリ」をオープン。以後、執筆活動やCDリリースなど幅広く活躍。2006年にはミュージカル『アニー』にミス・ハニガン役で出演した。 |
デビュー作 | CDシングル『ダニエル・モナムール』 |
代表作品1年 | 1970 |
代表作品1 | CDシングル『経験』 |
代表作品2年 | 2001 |
代表作品2 | CDアルバム『Love Letters』 |
代表作品3 | バラエティー『ズバリあてましょう』 |
職種 | 俳優・女優・タレント/音楽 |
好きなスポーツ | ゴルフ |
趣味・特技 | 映画鑑賞/クラシックバレエ/スパニッシュダンス/日本舞踊/ジャズダンス |
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辺見マリ | |
辺見マリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/05 04:56 UTC 版)
辺見マリ(へんみ まり、1950年〈昭和25年〉10月5日 - )は、日本の歌手・タレント・女優。本名、逸見 万里(読み同じ)。
注釈
- ^ 実際にはマリの下に双子の弟が生まれたが、生後間もなく二人とも亡くなったこともあり、マリは一人娘のように大切に育てられた[1]。
- ^ 黒髪ではないマリからハーフと気づかれないよう、母親は髪を娘に合わせて明るい色に染めていた。このため、マリは後年に知らされるまで母と同じ“純粋な日本人である”と疑わずに育ったとのこと。
- ^ 当日、マリは顔なじみの会場スタッフに頼んで、出演者である布施明のサインをもらうため関係者用の廊下を歩いていた。するとマリの存在に気づいたナベプロが、会場スタッフから彼女にバレエ経験があることを聞き、上記のようにスカウトしたという[1]。
- ^ ひろしの漢字は、「西」の真下に「早」。
- ^ 人気絶頂時での引退について本人は、「芸能界でスターになることに加え、愛する人ができたら結婚するというのも私のもう一つの夢だった。当時の私には結婚生活と仕事を同時にすることはできないから、西郷さんを支える縁の下の力持ちになろうと思って引退したんです」と述懐している[1]。
- ^ 西郷から子育てのためにマリの両親との同居を提案され、「その方が僕も安心して留守にできるから」と言われたという[1]。
- ^ 離婚の経緯についてマリは後年、「今思えば、同居生活で家族がお互いに気を遣い過ぎたのが原因かもしれません。その後西郷さんはだんだん家に帰ってこなくなってそのまま別居状態になり、結局結婚生活は9年で終わりました」と回想している。[1]。
- ^ Sから話を聞いた時は、正直『コイツ、何言うてんねん(笑)』と思いました、でもそれから間もなく、私のディナーショーのポスターを見た人が『辺見マリってまだ歌手やってんの?もう古くねえ?』と悪口を言うのを偶然聞いてしまい、ひどく落ち込んじゃって…」と述懐している。
- ^ 実際は、裏でSがマリの情報を逐一伝えていた
- ^ 「このままだとえみりちゃん(当時小学6年生か中学1年生)の目が見えなくなりますよ。悪い厄を取り除かないと」、「このままだと息子さんがグレてしまう。お金を払えば救えますよ」等。
- ^ 本人によると、「厄払いをするたびに5万、10万、20万円…と金額が増えていった。拝み屋の深みにハマってしまったのは、私の弱さが一番の原因。でも、あの頃は『もし厄払いをしないで自分の一番大切な家族が不幸になったら、それこそ取り返しがつかない』と思い込んでいた」と述懐している[1]。
- ^ マリは、「『そんなのに引っかかるなんておかしい』と思われるかもしれませんが、子供時代の経験から仲間はずれにされるのが嫌で自分から『一緒に修行させて下さい』と頼んだんです」と回想している。
- ^ 後日、自叙伝やヌード写真集も出版したが、その印税もAに渡していた[9]。
- ^ 本人によると、「それまでAたちに渡したお金は、『家族が不幸にならないように』と自分が信じて用意していました。でも入会金は、自分を信じて生徒さんたちが用意してくれたお金でしたから、お金としての重みが全然違いました」と回想している[9]。
- ^ 本人は後年「要求と支払いを何度も何度も繰り返すと感覚がマヒしてくるんですよ。拝み屋たちへの支払いのため、自分の貯金がなくなってからは生命保険を解約し、持っていた宝石を全て売って自宅までも売りました。それでも足らなくなって自分のヘアヌード写真集も出したし、えみりが15歳でタレントデビューするとその契約金まで渡してしまいました。総額5億円も渡すなんて異常ですよね。でも、それが洗脳なんです」と述懐している[1]。
- ^ 本人は後年、「普通ならもう親子の縁を切られてもおかしくないのに…、(えみりや長男には)本当に感謝しかないです」と語った[1]。
- ^ 不整脈の一種である心房細動を起こす患部を焼く治療法。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah 週刊女性2023年6月27日号・人間ドキュメント「『ま、いっか!』で乗り越える」辺見マリp38-44
- ^ 近代映画 近代映画社 1970年10月号 131頁。
- ^ テレビ東京・BSテレ東『海を越えた家族愛(テレビ東京)の番組情報ページ | テレビ東京・BSテレ東 7ch(公式)』 。2023年6月19日閲覧。
- ^ a b c d 「ニュース・スクランブルCINEMA 『熟女女優ヌード競演、再起を賭け辺見マリが登場』」『週刊明星』1984年9月2日号、集英社、146頁。
- ^ 近代映画 近代映画社 1970年10月号 129頁。
- ^ “辺見マリ「私はこうしてだまされた!」5億円奪われた洗脳地獄を激白”. ORICON NEWS (oricon ME). (2015年8月31日) 2021年9月29日閲覧。
- ^ 週刊アサヒ芸能 2012年6月28日特大号 90年代"ヘアバブル"の到来
- ^ 以上は近代映画 近代映画社 1970年5月号 102~105頁。
- ^ a b c d “辺見マリ、13年間の洗脳から解けたきっかけは「入会金100万円のダイエット教室」”. ABEMA TIMES (2021年1月17日). 2023年7月14日閲覧。
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