国指定文化財等データベース |
讃岐及び周辺地域の砂糖製造用具と砂糖しめ小屋・釜屋
| 名称: | 讃岐及び周辺地域の砂糖製造用具と砂糖しめ小屋・釜屋 |
| ふりがな: | さぬきおよびしゅうへんちいきのさとうせいぞうようぐとさとうしめこや・かまや |
| 種別: | 生産、生業に用いられるもの |
| 員数: | 937点 砂糖しめ小屋2棟 釜屋1棟 |
| 指定年月日: | 1983.04.13(昭和58.04.13) |
| 所有者: | 財団法人四国民家博物館 |
| 所有者住所: | 香川県高松市屋島中町九一 |
| 管理団体名: | |
| 備考: | さとうきび栽培101点,白下糖製造694点,和三盆糖製造61点,その他81点,砂糖しめ小屋2棟,釜屋1棟 |
| 解説文: | わが国の砂糖きびの栽培と砂糖の製造法は、室町時代のころ中国南部から琉球諸島さらに奄美諸島に伝わり、江戸時代初期にはこの地域で盛んに砂糖が製造された。また、幕府及び各藩も江戸時代の中・後期にこれを取り入れようと努めた。高松藩では向山周慶【さきやましゆうけい】が寛政から享和のころ(一七九〇-一八〇四)薩摩の人から製糖の技法を学び、文化五年(一八〇八)に南野村(現在の大川郡引田町)の新兵衛がわが国で初めて和三盆【わさんぼん】糖という上製白糖の製造に成功した。このため讃岐の白糖は大阪市場でも高く評価され、天保のころ(一八三〇-一八四五)から群を抜いて生産を増大し、明治初年に舶来糖が輸入されるまでその地位を確保した。この収集は讃岐を中心とした地域の砂糖製造用具について、砂糖きび栽培・白下【しろした】糖製造・和三盆糖製造の各工程に応じて、巨細にとりまとめたもので、質量ともにすぐれている。 「砂糖しめ小屋」は、坂出市にわずかに残存した常小屋【じようごや】二棟を移築保存したものであるが、このうち旧宮崎家所有のほうは慶応年間(一八六五-一八六七)の創建で、直径八メートル、軒高二・六メートルの茅ぶき、旧富木田【ふきた】家所有のほうは明治末年の創建で直径八・三メートル、軒高三メートルの茅ぶき。なお、砂糖きびのしぼり汁を煮つめる「釜屋」は、大川郡白鳥町の旧六車【むぐるま】家所有のもので、明治四十二年(一九〇九)の創建で、桁行七・三メートル、梁間二メートル、切妻造り、桟瓦ぶきである。 また、砂糖きびの汁をしぼる「砂糖しめ小屋」は、牛二頭の力でしめ臼を回転させるとき牛の動線が円形をえがくため、中に柱を持たない円形平面の建物に造られている。円周上に三十二角形の木造の骨組をつくり、その外周を大壁で固め、屋根は傘上に叉首【さす】を架けて小屋組とし、放射上に垂木【たるき】を配り、円錐状に茅をふく。その外観は異国風であるが、わが国の大工技術によって巧みに構築されたきわめて注目すべき建築である。 この砂糖製造用具と砂糖しめ小屋・釜屋は、四国地方の砂糖製造業の様相を示すものとして重要である。 |
重要有形民俗文化財のほかの用語一覧
| 生産、生業に用いられるもの: | 蒲江の漁撈用具 製塩用具 西米良の焼畑農耕用具 讃岐及び周辺地域の砂糖製造用具と砂糖しめ小屋・釜屋 讃岐及び周辺地域の醤油醸造用具と醤油蔵・麹室 赤穂の製塩用具 越後奥三面の山村生産用具 |
讃岐及び周辺地域の砂糖製造用具と砂糖しめ小屋・釜屋のページへのリンク