やっきょう 【訳経】
訳経
訳経
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 15:40 UTC 版)
『十七地論』(散佚) 『阿毘達磨倶舍釋論』(『倶舎釈論』)(大正蔵 Vol.29 毘曇部 No.1559) 『攝大乘論』(大正蔵 Vol.31 瑜伽部 No.1593) 『攝大乘論釋』(大正蔵 Vol.31 瑜伽部 No.1595) 『中邊分別論』(大正蔵 Vol.31 瑜伽部 No.1599) 『大乗起信論』(大正蔵 Vol.32 論集部 No.1666) 『金七十論』(大正蔵 Vol.54 外教部 No.2137) 没後には訳出経論が北方に受容され、弟子達によって『摂大乗論』・『摂大乗論釈』を所依とした摂論宗が成立する、真諦はその祖とされるに至った。 また、真諦訳とされる『大乗起信論』が後代の中国や日本の仏教徒に与えた影響は測り知れないものがある。
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訳経
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 08:16 UTC 版)
竺法護が漢訳した経典は、約150部300巻と称される。主なものを記述する。 『光讃般若経』(こうさんはんにゃぎょう) 『正法華経』(しょうほけきょう) 『維摩詰経』(ゆいまきつきょう) 『大宝積経』(だいほうしゃくきょう) 『普曜経』(ふようきょう) 『生経』(しょうきょう) 鳩摩羅什以前の訳経を「古訳」(こやく)と呼ぶが、竺法護の訳経は古訳経典の中心をなしている。 訳経活動は、『出三蔵記集』の紀年によると、266年(泰始2年)より308年(永嘉2年)に及んでおり、約40年に及ぶ。また、その訳経場所を見ると、敦煌・酒泉・長安・洛陽と、各地を遊方しながらの訳経であったことがわかる。 また、その訳経の量だけでなく、質の面においても、竺法護の訳出経典は重要な位置にある。『正法華経』は鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』の登場以前に、法華信仰および観音信仰を中国にもたらした経典である。『維摩詰経』は、清談全盛の西晋から東晋にかけての貴族社会の風に馴染む教えで深く浸透した。『光讃般若経』も、老荘思想がもてはやされた西晋の思想界に受け入れられた般若経典である。
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