観世重賢とは? わかりやすく解説

観世重賢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 08:49 UTC 版)

観世 重賢(かんぜ しげかた、万治元年(1658年[1] - 延享3年4月23日1746年6月11日))は、江戸時代猿楽師。12世観世大夫。通称は初め三郎次郎、大夫就任と同時に左門を名乗る[2]。隠居してのちは服部十郎左衛門、さらに出家して服部周雪と改めた。


注釈

  1. ^ なお観世家の始祖・観阿弥は宝生大夫の弟であり(『申楽談儀』)、重友の4代前の大夫(小宝生)は7世観世大夫元忠(宗節)の実弟であった。8世元尚は小宝生の実子である。
  2. ^ 風姿花伝第三の署名
  3. ^ なお、藤本源右衛門稠賀となった久馬助は最終的に600石まで昇進し、筑後守を名乗った。同様に登用された能役者の中では数少ない成功組であり、1738年(元文3年)に72歳で没している[12]
  4. ^ 「正徳弥生本」を手がけたのは重賢の養子・13世滋章(重記)とされているが、健康を損ねた滋章に代わって隠居である重賢がこれを主導した可能性がある。なお広く流布している「正徳六年弥生」の奥付を持つ内百十番謡本は、これを改変したもの[20]
  5. ^ ただし、それ以前にもたびたび江戸を訪れる、あるいは断続的に江戸に在住していた可能性が指摘されている[21]

出典

  1. ^ 表(2008)、p.275
  2. ^ a b c 表(2008)、p.292
  3. ^ a b 表(2008)、p.276
  4. ^ 表(2008)、pp.267-268。なお当該個所では生年の計算をのちのページで改めた関係上、年齢が1つずれている
  5. ^ 表(2008)、p.272
  6. ^ 表(2008)、p.277
  7. ^ a b 表(2008)、p.279
  8. ^ 表(2008)、p.280
  9. ^ 表・天野(1987)、p.110
  10. ^ 表・天野(1987)、pp.114-116
  11. ^ 表(2008)、pp.280-281
  12. ^ 寛政重修諸家譜』巻第千三百五十七「藤本」(国会図書館デジタルコレクション:国民図書版第8輯
  13. ^ a b c 表(2008)、p.282
  14. ^ 表(2008)、pp.282-283
  15. ^ a b 表(2008)、pp.283-284
  16. ^ 表(2008)、pp.284-286
  17. ^ 表(2008)、p.285
  18. ^ 表(2008)、p.286
  19. ^ 表(2008)、p.287
  20. ^ a b 表(2008)、pp.312-315
  21. ^ 表(2008)、pp.284-285
  22. ^ 表(2008)、pp.289-290
  23. ^ 表(2008)、p.290
  24. ^ 表(2008)、pp.290-291
  25. ^ 表(2008)、pp.291-292
  26. ^ 表(2008)、pp.288-289


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