西郷隆盛像
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西郷隆盛像(さいごうたかもりぞう)は、日本の武士・軍人・政治家である西郷隆盛(1828年〈文政11年〉 - 1877年〈明治10年〉)の顕彰を目的として建立された銅像。
- ^ a b 木下直之『『銅像時代:もうひとつの日本彫刻史』 岩波書店 2014年 ISBN 978-4-00-025962-0 pp.158-159,231-234.
- ^ a b c d e 仁科邦男『犬たちの明治維新』「第四章 西郷どんの犬 - 4 西郷隆盛像の犬」
- ^ 恵美千鶴子 「高村光雲・後藤貞行ほか西郷隆盛像」『国華』第1426号、2014年8月、pp.39-41、
- ^ a b 小笠原長生「大西郷を語る」『東郷平八郎全集.第2巻』平凡社、1935年7月 。コマ72-76
- ^ 「岡崎雪聲氏の西郷銅像鑄造談」『國民新聞』明治31年(1898年)12月18日6面。
- ^ a b c 樺山愛輔『父、樺山資紀 伝記・樺山資紀』大空社〈伝記叢書 44〉、1988年6月。ISBN 978-4-87236-343-2。
- ^ 高村豊周「あとがき」(高村光雲 『木彫七十年』 日本図書センター、2000年、pp.218-236。
- ^ 早稲田大学百年史 第四編 早稲田大学開校 第十一章 大隈銅像と早稲田校歌
- ^ 『東京日日新聞』明治22年(1889年)10月11日6面掲載の「募集広告」。
- ^ 吉田千鶴子 「西郷隆盛の銅像」、『うえの』上野のれん会、1990年1月号所収
- ^ 丹尾安典、川田明久『岩波 近代日本の美術1 イメージの中の戦争 日清・日露から冷戦まで』岩波書店、1996年8月。ISBN 4-00-008331-7。
- ^ 児玉花外 『東京印象記』 1911年(明治44年)8月
- ^ 平瀬礼太 「 尋ね人の貼り紙を貼られた「西郷隆盛像」」『日本経済新聞』、2013年12月16日。
- ^ 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「上野の山の桜と西郷隆盛」国立国会図書館蔵書、2018年2月8日閲覧
- ^ 安藤は二中8回卒・大正4年、隆治は二中11回卒・大正7年。隆治は二中卒業後、二中で柔道師範を務めた。
- ^ a b c “幻の西郷像、京都に建立計画 上野の除幕10年前に”. 京都新聞. (2018年1月22日) 2018年1月23日閲覧。
- 1 西郷隆盛像とは
- 2 西郷隆盛像の概要
- 3 霧島市溝辺町(西郷公園)の銅像
西郷隆盛像
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昭和3年(1928年)に東郷平八郎より依頼を受けてから、西郷の体格や外見の研究に1年を費やし、さらに国内の古美術や銅像見学に1年かけ、加えて銅像研究のため欧州へ渡った。帰国後7年を経て安藤は「身長5尺9寸、体重29貫、襟首19インチ、肥満であったが、肉つきは引き締まっており、相撲のため耳だこがあり、首は短く肩が小山のごとく盛り上がっている」との結論に至った。安藤が思い描いた構図は、故山の大地を、市民と同じ足で踏みしめ、胸を張って桜島と向き合う巨人だった。 かくして銅像は昭和12年(1937年)に完成した。また、土台製作の為に小根占(鹿児島県肝属郡南大隅町)より大小合わせて150有余の花崗岩を運ばせて、背景に城山と有機的に調和する小山を築き、造園した。 西郷銅像について、安藤は『大西郷と銅像』(改造第十九巻九号、1937年)にて、次のように記述している。 「襟は十九インチ、身長は五尺九寸余、体重は二十九貫と云うので胴回りなどの研究を進めることもできた。翁の令孫隆治氏は柔道剣道の達人で相当偉大な体躯の持主であるが、この大将服を着用せられてなお二貫余の綿を入れなければならなかった。また私共が、二人も一しょに入れるような胴回りである」(文中に登場の西郷隆治は、二中において安藤(8回卒)の3年後輩(11回卒)で、卒業後は二中で柔道師範を務めた人物) 作家の海音寺潮五郎は、著書『西郷隆盛』にて次のように述べている。 「これはぼくだけの見当だが、安藤は西郷の孫にあたる西郷隆治さんをモデルにし、それを彼の主観でアレンジして造形したのではないかと思っている。安藤は鹿児島二中の出身であるが、隆治さんも二中の出身だ。大体同じころに在学している見当でもある。隆治さんは西郷が奄美大島る流謫中にめとった島の娘アイカナの産んだ菊次郎の子で、西郷に最もよく似ているといわれている人である。(中略)ともあれ、安藤のつくった銅像は隆治さんによく似ている」 2008年(平成20年)12月30日の南日本新聞記事によると、西郷のモデルは、元・山形県議の男性であることが判明。安藤のアトリエで撮影された、銅像のひな型や肖像画などが写り込んだモノクロ写真が、男性の遺族宅で発見されたという。遺族は「(祖父の)目は隆治さんに似ていると思う」とも述べている。
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