裴迪
裴迪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/26 14:05 UTC 版)
王維の「輞川集二十首」に唱和した詩人であり、また天宝十五載に王維が安禄山の乱に巻き込まれて賊軍に囚われた時も側を離れず、王維の口号詩を伝えた人物である。現存する二十八首の詩はすべて王維との唱和、贈答詩であり、『王右丞文集』に収められたことによって残った。裴迪は開元4年に生まれ、天宝3・4載に王維・王昌齢らと長安の青龍寺に訪れ詩を唱和した。天宝中に王維・盧象らと崔興宗の林亭を訪れ詩を唱和した。(以下、入谷仙介氏、と陣内孝文氏に基づく。)『新唐書』には「中宗時代の宰相であった裴談・裴炎と同族である洗馬裴氏、任城県尉裴回の長子」とある。杜甫の「和裴迪登新津寺寄王侍郎」詩、「和裴迪登蜀州東亭送客逢早梅相憶見寄」詩、「暮登四安寺鐘樓寄裴十迪」詩、には「裴迪は、蜀州刺史となった王維の弟の王縉とともに、蜀州へ行った」とある。『全唐詩』の李頎の「聖善閣送裴迪入京」詩には、「裴迪は尚書郎となった」とあるが、他の資料にこのことは見えない。
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