裴迪とは? わかりやすく解説

裴迪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/05 04:36 UTC 版)

裴 迪(はい てき、生没年不詳)は、五代後梁の武将。本貫河東郡聞喜県




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裴迪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/26 14:05 UTC 版)

王維」の記事における「裴迪」の解説

王維の「輞川二十首」に唱和した詩人であり、また天宝十五載に王維安禄山の乱巻き込まれ賊軍囚われた時も側を離れず王維口号詩を伝えた人物である。現存する二十八首の詩はすべて王維との唱和贈答詩であり、『王右丞文集』に収められたことによって残った。裴迪は開元4年生まれ天宝3・4載に王維王昌齢らと長安青龍寺訪れ詩を唱和した。天宝中に王維・盧象らと崔興宗亭を訪れ詩を唱和した。(以下、入谷仙介氏、と陣内孝文氏に基づく。)『新唐書』には「中宗時代宰相であった裴談・裴炎同族である洗馬裴氏任城県尉裴回の長子」とある。杜甫の「和裴迪登新津寺寄王侍郎」詩、「和裴迪登蜀州東亭送客早梅憶見寄」詩、「暮登四安寺鐘樓寄裴十迪」詩、には「裴迪は、蜀州刺史となった王維の弟の王縉とともに蜀州行った」とある。『全唐詩』の李頎の「聖善閣送裴迪入京」詩には、「裴迪は尚書郎となった」とあるが、他の資料にこのことは見えない

※この「裴迪」の解説は、「王維」の解説の一部です。
「裴迪」を含む「王維」の記事については、「王維」の概要を参照ください。

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