きぬがさ‐さちお〔‐さちを〕【衣笠祥雄】
衣笠祥雄
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衣笠 祥雄(きぬがさ さちお、1947年(昭和22年)1月18日 - 2018年(平成30年)4月23日[1])は、日本のプロ野球選手(内野手)。引退後は野球解説者・野球評論家・タレント。京都府京都市東山区馬町出身[2][3][注 1]。本名同じ[4]。メディアにおける愛称は「鉄人」、先輩や同い年からの愛称は「キヌ」もしくは「サチ」、後輩からは「キヌさん」と呼ばれる事が多かった。国民栄誉賞受賞者。息子は元俳優の衣笠友章[5]。
注釈
- ^ VHSソフト『限りなき挑戦』より、リポーターの山際淳司が出身地として馬町を取材するシーンを見ることができる(テロップでも馬町の名が表示されている)。馬町は京都女子大学付近に位置している。
- ^ 1984年から1987年までコーチ兼任だったことは、次の資料を参照[36]。
- ^ 20年連続2桁本塁打は王貞治、野村克也の21年連続に次ぐもので、張本勲に並んだ。
- ^ 450本塁打以上打った選手の盗塁王獲得は史上唯一。
- ^ a b c 2001年9月まで、ラジオ・テレビ兼営放送局であったが、10月にラジオを子会社として分離(「TBSラジオ&コミュニケーションズ」への放送免許承継。2016年4月には社名も「TBSラジオ」に変更)、2009年4月には持株会社化(東京放送ホールディングスへの社名変更)に伴いテレビも子会社として分離(「TBSテレビ」への放送免許承継。TBSの略称もTBSテレビに継承)された。
- ^ a b 衣笠死去直後、朝日新聞デジタルで有料会員限定記事として配信されたもののうち、会員外閲覧可能部分の記述[55]より、現役引退直後の1987年シーズンオフから2017年1月に契約終了するまでの間朝日新聞社嘱託として「鉄人の目」などコラムの執筆を担当、契約終了後もたびたび担当記者へ自身の考えをつづったメールを送っていたこと、2018年4月2日に送信されたものが遺稿となり、これを「鉄人の目」最終回(この本文より有料会員限定記事)として紹介することがつづられている。
- ^ 参考:死去直前のネットニュース記事…[63]
- ^ 出自について、以下の情報もみられる。父はアメリカ人、母は日本人のハーフとして紹介…[70]。黒人とのハーフとして紹介…[71]。
- ^ 新人当時、高級車を乗り回して事故を起こし、球団側から免許を剥奪されたという旨の話は、後年に古葉竹識も語っている(大洋監督だった1987年当時[9])。
- ^ 2022年7月6日に日本記録を塗り替えた中村剛也(衣笠、清原の現役時代より年間試合数が増加)は、2022年シーズン終了時点で100三振以上のシーズンが12回、三振数がリーグ最多となったのは4回。
- ^ 達成当時は世界記録だったが1996年6月12日にMLBのカル・リプケンによって塗り替えられた
- ^ BS-TBS…TBSテレビ系のBS放送(旧局名:BS-i)、TBSチャンネル…TBSテレビが運営するCS放送チャンネル
- ^ MLB中継解説者だったことは、次の資料を参照[120]。
- ^ 開始時期について、2014年のTBSラジオ公式Twitterでは「開始から7年目」[124]、2017年のTBSラジオ公式サイト内では5月4日『プロ野球ネットワーク』内での生放送をもって「10周年」を迎えたことが記載[125]。2018年の死去直後に配信された記事より、2007年開始である旨が明記[126][71]。次の資料では、2017年5月4日放送が最後の放送である旨が明記[71]。
- ^ 2013年11月9日19:00 - 20:00[127]。
- ^ 参考:[87][135]
出典
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- ^ 『データバンクにっぽん人』、佐藤正弥編、現代書林、1982年、13頁
- ^ 『TVスター名鑑2019』(2018年11月1日発売、東京ニュース通信社発行)に掲載された物故者名簿より、衣笠の項目を参照。
- ^ 『テレビ・タレント人名事典』第6版(2004年、日外アソシエーツ編・発行/紀伊國屋書店発売)、ISBN 4-8169-1852-3
- ^ 「鉄人」衣笠祥雄さん死去 赤ヘル黄金期支えたレジェンド スポニチアネックス、2018年4月25日。
- ^ 山本浩二、古葉竹織らが語る“鉄人”衣笠祥雄の真実「監督をしなかったことが残念」 AERA、2018年4月28日。
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- ^ 「衣笠が逆転サヨナラ25号 好投浅野 勝利目前、痛恨の一投」『北海道新聞』(縮刷版) 1974年(昭和49年)7月15日付朝刊、10面(スポーツ面)。
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- ^ 「衣笠、連続出場タイ記録 1246試合 不休11年、飯田と並ぶ」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1980年(昭和55年)8月1日付朝刊、19面。
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- ^ 【追悼 衣笠祥雄氏】ソフトB達川ヘッド「すし屋なのに締めはステーキだった」
- ^ 「寿司屋でステーキ」「米メジャー通」 ソフトB達川ヘッドが語る鉄人・衣笠氏の日常
- ^ a b 石崎浩見の研究部屋 vol.20“衣笠祥雄さん” - TBSテレビ ドラマNEO『放課後はミステリーとともに』公式サイトより、2012年6月26日アップ ※アップ日時は、バックナンバー欄を参照。
- ^ 【魚拓】山田久志さんが語る、鉄人・衣笠祥雄さんとの思い出 | RadiChubu-ラジチューブ-
- ^ 野菜食べぬ鉄人・衣笠 肉ばかり食べ「野菜は牛が食うとる」newsポストセブン 2012年3月17日
- ^ 川口和久コラム「俺からも鉄人魂を伝えよう」 | 野球コラム - 週刊ベースボールONLINE
- ^ 【連続写真】広島・衣笠祥雄「フルスイングで鳴らした世界の鉄人」
- ^ 「30-30」はないが、シーズン30本塁打と30盗塁をどちらも記録した選手。長嶋と衣笠は各2度以上
- ^ 江本孟紀著『プロ野球を10倍楽しく見る方法』(1982年、KKベストセラーズ発行)
- ^ 週刊ベースボール2018年9月10日号大島流『危険球に負けない方法』【大島康徳の負くっか魂!!第75回】、78-79頁
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- ^ a b 衣笠さん、球界屈指の「音楽通」 ジャズからパンクまで...冠ラジオでDJも(全文表示) - J-CASTニュース2018年4月24日19時51分配信
- ^ Report Vol.14 2013年4月〜2014年3月(2014年7月1日、TBSラジオ&コミュニケーションズ発行) P12
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- ^ 衣笠祥雄 - オリコンTV出演情報
- ^ しんぶん赤旗「きょうの潮流」 しんぶん赤旗(2018年4月26日)
- ^ NHK特集 17年間休まなかった男〜衣笠祥雄の野球人生〜 - NHK放送史
- ^ “衣笠さん追悼し「NHK特集」32年ぶり放送”. スポーツ報知. 報知新聞社. (2018年4月26日)
- ^ 広島地元局RCC 衣笠祥雄さん追悼特番を緊急編成 安仁屋宗八氏と山崎隆造氏が出演 スポニチアネックス、2018年4月24日
- ^ 『TVスター名鑑2018』(2017年11月1日発売、東京ニュース通信社発行)掲載のプロフィール
- ^ 衣笠祥雄さん(1/2) - インタビュー - ひと - 『どらく』(朝日新聞ウェブサイト内コンテンツ)より、2006年8月9日付配信記事(インターネットアーカイブ2013年5月15日付保存キャッシュ) ※元記事配信日付は、バックナンバー(インターネットアーカイブ2013年4月10日付保存キャッシュ)を参照。
衣笠祥雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 13:59 UTC 版)
広島の強打者。明智の入れ知恵による「二段打法」で、ハラキリ・シュートを1度だけホームランする。
※この「衣笠祥雄」の解説は、「侍ジャイアンツ」の解説の一部です。
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