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三国志 (歴史書)

(蜀志 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/01 10:17 UTC 版)

三国志』(さんごくし)は、中国三国時代について書かれた歴史書。著者は陳寿後漢の混乱期から西晋による中国統一までを扱う。二十四史の一つ。


注釈

  1. ^ 『魏書』「匈奴劉聡伝」などで三国時代に触れた記述では魏を正統とし、孫権を「偽孫」、劉備を「僭劉」と呼んでいる。これは、北魏が魏・西晋(東晋は「僭晋」と呼び否定している)を継承した国家であることのアピールである。
  2. ^ 筑摩書房版の解説によれば、それぞれの君主の死を表現する言葉でも、魏の曹操・曹丕・曹叡の場合には実名を書かず、亡くなった場所を書いた上で「崩ず」と書いているのに対し、呉の場合は「(孫)権薨ず」「(孫)休薨ず」といった具合に実名表記・場所不表記・臣下でも使われる表現を用いることによって差をつけている。その一方で、劉備の場合は「先主は永安宮に殂す」という表現で敬意を表している。
  3. ^ 例として、192年に南方で区連が後漢に反旗を翻し、林邑を建国した。子孫は呉に朝貢しているが、『三国志』では「呉志」呂岱伝で朝貢があったと書かれているだけである。一方、『晋書』では「四夷伝」に林邑の項目があり、そこに記述がある。
  4. ^ 呉の朝貢について本紀にあたる孫権伝に記載はなく、列伝で表記されているので、陳寿が配慮した可能性がある。
  5. ^ 陳澧『東塾読書記』「論三国」では、史料の少ない蜀が見劣りするので、魏・呉の分量を削ったと推測している。
  6. ^ たとえば、曹奐の伝記である「陳留王紀」は、執筆時に曹奐が存命だったので、晋に禅譲したところで記事は終わっている。裴松之の注では、曹奐の没年と(元皇帝)が補われている。
  7. ^ 「呉書」は韋昭の『呉書』を参照して書かれたとの指摘がある。
  8. ^ 丁儀・丁廙の子については、丁氏一族の男子が曹丕族誅させられてしまっているため、存在が疑わしい。
  9. ^ ただし、丁儀は曹操から高く評価され、世間はその死を惜しんだとされる。また、『魏略』には伝が立てられていたという。
  10. ^ ただし、陳寿が『諸葛亮集』を撰したのは張華荀勗らの命令によるものであり、尊敬の傍証になるのか疑問だという説もある。
  11. ^ 諸葛亮が祁山に出たのは2度で、北伐自体も5度であって、一勝も収めなかったというのは完全な誤りである。
  12. ^ ただし、裴松之注では蜀漢・呉側の文献も魏晋正統の前提で表記を改変した箇所がある(呉の文献である『曹瞞伝』の引用にもかかわらず、曹操を「太祖」と表記しているなど)。

出典

  1. ^ 常璩華陽国志』巻11・後賢志の陳寿伝に、「呉平後、(陳)寿乃鳩合三国史、著魏・呉・蜀三書六十五篇、号『三国志』」とある。
  2. ^ 張『百衲本二十四史 三國志』跋、台湾商務印書館、1937
  3. ^ 芦田孝昭『物語 三国志 古典案内』インタープレイ2012の解説によると、羅貫中は正史三国志を三十巻にダイジェストした呂祖謙の『十七史詳節』を読んでいたとされる。ただ、これには反論も有り、羅貫中は三国志全部を読んでいたという説もある。また、上田望の研究『講史小説と歴史書』によれば講釈師たちは三国志は読まず、『資治通鑑』をまとめた『綱鑑』(こうかん)と呼ばれる本を講釈の種本として持ち歩いていたという。
  4. ^ 高田時雄「李滂と白堅」(敦煌写本研究年報 2007)は日本国内の某財団図書館に秘匿されていると主張している。
  5. ^ 郭沫若「新疆新出土的晋人写本《三国志》残巻」(文物 1972-2)
  6. ^ 清朝の学者が表や志を補ったものは存在する。例えば洪亮吉の『三国職官表』、陶元珍の『三国食貨志』など。ただ、陳寿が歴史の下部構造に無頓着だったために本文中に記載が乏しく、そこから取材した『三国食貨志』も内容が薄いと評される。これら清代につくられた表・志については高島俊男『三国志 きらめく群像』ちくま文庫、2000参照。
  7. ^ 旧唐書経籍志および『新唐書芸文志より。
  8. ^ 裴松之「上三國志註表」には「陳壽國志」とある。
  9. ^ 『呉志』陸凱伝など
  10. ^ 『呉志』巻20 王楼賀韋華伝
  11. ^ 元の馬端臨の説で、彼の『文献通考』には「其の多きことは本書(陳寿の本文)の数倍に過ぎたり」という。20世紀になってもこの説は信じられており、村上知行は1968年の時点でも馬端臨の説に基づいて記載している。村上『三国志 全3巻』1968、河出書房の巻末解説参照。
  12. ^ 高島2000
  13. ^ 高島2000
  14. ^ 馬端臨の『文献通考』の原文では「蓋見注所載尚有諸書,不知壽盡取而為書矣。注之所載,皆壽書之棄餘也。後生誦讀不詳,輕議論最害事。」となっている。
  15. ^ 馬端臨の『文献通考』の原文では、「水心葉氏曰『陳壽筆高處逼司馬遷,方之班固,但少文義緣飾爾,要終勝固也。』」となっている。
  16. ^ 田中靖彦「陳寿の処世と『三国志』」『駒沢史学』第76号、駒沢史学会、2011年3月、69-97頁、ISSN 04506928NAID 120006617337 
  17. ^ 渡邉義浩・仙石知子『「三国志」の女性たち』山川出版社、2010年5月25日、212-213頁。ISBN 9784634640511 
  18. ^ 高島『三国志 きらめく群像』 pp.394-398
  19. ^ a b c d e 『正史三国志8』ちくま学芸文庫





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