藤橋遺跡とは? わかりやすく解説

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藤橋遺跡

名称: 藤橋遺跡
ふりがな ふじはしいせき
種別 史跡
種別2:
都道府県 新潟県
市区町村 長岡市西津町
管理団体
指定年月日 1978.10.13(昭和53.10.13)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S52-12-031藤橋遺跡.txt: 長岡市附近では、信濃川左岸4段河岸段丘発達しており、多数繩文時代遺跡分布している。本遺跡は、その最下段所在し繩文時代後期から晩期に至る集落跡である。
 本遺跡の発掘調査3次わたって行なわれ遺跡の概要把握される至った遺跡のほぼ中央部小谷が西に向かって入りこみ、それを囲む台地上に住居跡土壙など多数遺構確認され膨大な量の遺物発見された。また、遺物包含層小谷にも及び、木器など有機質遺物遺存する泥炭質の包含層の存在予想される住居跡については、柱穴考えられるピット密集している。
 発見遺物には、繩文時代後期から晩期に至る各時代土器群があり、特に晩期終末属す一群は最も量も多く藤橋式として越後会津地方一帯の標式とされている。石器多種多様で、石剣石冠みられる。玉類には勾玉・丸玉があり、材料には滑石のほかヒスイ含まれなかには未完成品もある。ヒスイ原石入手して玉作りをしていた晩期集落跡は、山形県玉川遺跡青森県亀ヶ岡遺跡の2遺跡があるが、本遺跡単なる地方的な大規模集落とどまらず、より広域地方における中心的な存在であったことを示唆する
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史跡:  藤原武智麿墓  藤本観音山古墳  藤樹書院跡  藤橋遺跡  藤沢敵御方供養塔  虎塚古墳  蛇塚古墳

藤橋遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/02 17:03 UTC 版)

藤橋遺跡(ふじはしいせき)は、新潟県長岡市西津町にある縄文時代遺跡1978年(昭和53年)10月13日、国の史跡に指定された。


  1. ^ a b c d e f 国指定文化財等データベース”. kunishitei.bunka.go.jp. 文化庁. 2020年11月15日閲覧。
  2. ^ 根木昭、岸本雅敏「遺跡の公園化と博物館の広域化及びそのまちづくりにおける意義」『研究報告』第19巻、長岡技術科学大学、1997年、 105-113頁。
  3. ^ 藤橋遺跡整備計画まとまる (PDF) 」 『ながおか市政だより』第362号、長岡市、1984年10月、 8-9頁。


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