藤原綏子とは? わかりやすく解説

藤原綏子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/29 07:22 UTC 版)

藤原 綏子(ふじわら の やすこ(すいし)、天延2年(974年) - 寛弘元年2月7日1004年2月29日))は平安時代中期、一条天皇時代の女官(尚侍)。摂政太政大臣であった藤原兼家の第3女で、一条天皇の東宮である居貞(おきさだ)親王(後の三条天皇)の初めての御息所


注釈

  1. ^ 但し、『一代要記』には「九月廿六日初入東宮有寵」とあって、任尚侍が26日なのか、東宮への入内をこの日とする訛伝なのかがよく分からない。なお、『河海抄』所引「或記」は任尚侍を16日のこととする。
  2. ^ 例えば『栄花物語』は東宮の元服を12月頃、綏子の任尚侍を同年10月のこととし(巻3)、『大鏡』は任尚侍を綏子11歳、即ち永観2年(984年)のこととしている(太政大臣兼家)。
  3. ^ 一条天皇時代に尚侍に補任させた女妍子は三条天皇の中宮となり、三条天皇時代に尚侍補任の女威子後一条天皇の中宮となっている。なお、後一条天皇時代に補任され敦良親王(後の後朱雀天皇)妃となった女嬉子も早逝しなければ後朱雀天皇の中宮とされた筈であろう[17]
  4. ^ 『栄花』では12月1日の入内となっている。
  5. ^ 発覚及び退出時期の下限は長徳3年12月13日(『権記』による)。
  6. ^ 巻4。
  7. ^ 内容は、実資が(祖父の召人であったと推定される)対の御方の依頼で火桶を調進したが、綏子が亥の子餅を作っているらしいからそれと関係があるのかしらん、といったもの。
  8. ^ 『大観』124と221、125と222番は歌句が若干異なるがそれぞれ重出。

出典

  1. ^ 『栄花物語』巻3(さまざまのよろこび)他、『大鏡』列伝「太政大臣兼家」他、等。
  2. ^ 尊卑分脈』、『一代要記』一条院後宮条、『河海抄』巻6須磨所引「或記」、『大鏡裏書』尚侍綏子事等。
  3. ^ 蜻蛉日記』下巻「(天禄3年2月)さて二十五日の夜」で始まる段。
  4. ^ a b c d e f 角田文衞『承香殿の女御』第7章「頼定の過去」、中公新書、昭和38年(古代学協会編『後宮と女性』(角田文衞の古代学1)、古代学協会、平成30年に再録)。
  5. ^ a b c d e f g h 野口孝子「麗景殿の尚侍藤原綏子について」『古代文化史論攷』4、奈良・平安文化史研究会、昭和58年。
  6. ^ 久下裕利「道長・頼通時代の受領たち」『學苑』817号、昭和女子大学近代文化研究所、平成20年。
  7. ^ 『蜻蛉日記』下巻「(天延2年)かくてかみな月になりぬ」で始まる段。
  8. ^ 『蜻蛉日記』中巻「((天禄元年)七月十余日にもなりぬれば)かくてのみ思ふになほいとあやし」で始まる段。
  9. ^ 『栄花物語』巻3及び巻11(つぼみ花)。『大鏡』列伝「内大臣道隆」。
  10. ^ 『一代要記』一条院後宮条、『河海抄』巻6所引「或記」、『大鏡裏書』綏子事条、等[注釈 1]
  11. ^ 『大嘗会御禊事』一条条。
  12. ^ a b c d e f 倉本一宏『三条天皇』第2章「潜龍の年月」、ミネルヴァ書房(ミネルヴァ日本評伝選)、平成22年。
  13. ^ a b 東海林亜矢子『平安時代の后と王権』第2章第1節第3項の2「皇太子キサキ」、吉川弘文館、平成30年。
  14. ^ 小右記』同年月日条、『権記』寛弘元年2月7日条(月日は記さず。)
  15. ^ 『尊卑分脈』
  16. ^ 上注『小右記』同条
  17. ^ 須田春子『平安時代後宮及び女司の研究』第2章第2節の4「内侍司職事」、千代田書房、昭和57年
  18. ^ 須田前掲書第2章第2節の1「内侍司」。
  19. ^ 『一代要記』一条院後宮条、『河海抄』巻6所引「或記」等。
  20. ^ a b 『大鏡』列伝「太政大臣兼家」。
  21. ^ 巻4(みはてぬ夢)
  22. ^ 日本紀略』同年11月某日条、『栄花物語』巻4[注釈 4]
  23. ^ 『一代要記』一条院後宮条、『河海抄』巻6所引「或記」、『大鏡裏書』尚侍綏子事、『尊卑分脈』等[注釈 5]
  24. ^ a b c 角田文衞「道綱母と時姫の邸宅」『王朝の映像』東京堂出版、昭和45年、所収。
  25. ^ 『権記』長保3年正月30日条
  26. ^ 『小右記』正暦元年10月21日条[注釈 7]
  27. ^ a b 『権記』長徳3年12月13日条、同4年3月26日条。
  28. ^ 野口前掲「麗景殿の尚侍藤原綏子について」、角田前掲「道綱母と時姫の邸宅」。なお、同時期の安倍晴明家も土御門大路北、西洞院大路東にあったというので(『今昔物語集』巻第24第16語)、綏子の里第と同じ町内にあったのかもしれないが、他に土御門大路北ではあるが町口小路辺りにあったとも伝えるので(『大鏡』帝紀「花山院」)、或いは土御門尚侍家の東隣の北辺三坊3町ないし小路を挟んだ三坊6町にあったのかもしれない。
    【参考図】
  29. ^ 例えば『権記』長保2年(1000年)6月9日条
  30. ^ 『僧綱補任』長元8年(1035年)条
  31. ^ 巻7「鳥辺野」
  32. ^ 『道命阿闍梨集』
  33. ^ 三保サト子「法輪寺の道命阿闍梨」『島根女子短期大学紀要』26、昭和63年
  34. ^ 『道命阿闍梨集』(『新編国歌大観』115、124、125、221、222番)[注釈 8]


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