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ふじわら-のかねいえ ふぢはら―かねいへ 【藤原兼家】

(929-990) 平安中期廷臣。師輔の子。兄兼通と対立。兄の死後花山天皇退位させ、外孫一条天皇をたて摂政関白となった。


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藤原兼家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/11/23 04:21 UTC 版)

東三条院跡、藤原兼家邸、京都市中京区押小路通釜座西北角

藤原 兼家(ふじわら の かねいえ、延長7年(929年) - 永祚2年7月2日990年7月31日))は、平安時代公卿従一位摂政関白太政大臣に昇る。藤原北家流の藤原師輔の3男で、母は藤原経邦の娘盛子道隆道兼道長らの父。妻の一人に『蜻蛉日記』の作者・藤原道綱母がいる事でも知られている。

右大臣藤原師輔の三男であり、出世では次兄の兼通の上を行った。円融天皇のとき長兄の摂政伊尹が早世すると、次の関白を望んだが、次兄の兼通に奪われてしまった。関白となった兼通は兼家を憎み、ことごとく出世の邪魔をし、死に際に兼家を降格させることまでした。兼通の死後は右大臣に任じられて次第に朝廷内での権勢を得る。策略によって花山天皇退位させて、娘が生んだ一条天皇即位させて摂政となった。その後、兼家の系統が摂関を独占することになる。




  1. ^ ただし、安子の死は長兄の伊尹が摂関の地位に就けるかも不透明な時期であり、遺言の内容もそこまで具体的なものではなく中宮権大夫として尽くしてくれた兄・兼通の重用を求めたもので、結果的には中宮安子と近侍することなかった弟・兼家には不利に働いたとする見方もある(倉本一宏「藤原兼通の政権獲得過程」(所収:笹山晴生 編『日本律令制の展開』(吉川弘文館2003年ISBN 978-4-642-02393-1)。


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