藤原公賢とは? わかりやすく解説

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洞院公賢

(藤原公賢 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/13 05:22 UTC 版)

洞院 公賢(とういん きんかた)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿。正式な名乗りは藤原公賢左大臣洞院実泰の子。官位従一位太政大臣。通称は中園相国。出家して空元。また遍昭光院とも称された。有職故実の大家で、歴代天皇・将軍からたびたび諮問を受けた。また、公賢の日記『園太暦』は、中原師守師守記』と並ぶ最重要史料であり、重要文化財に指定されている。文芸にも造詣が深く、歴史物語増鏡』の作者の正体としては、二条良基に次ぐ有力候補である。養女で後醍醐天皇側室の洞院廉子(阿野廉子)を通じて、南朝後村上天皇の系譜上の祖父になる。


  1. ^ 洞院公賢』 - コトバンク
  2. ^ 小川剛生『二条良基研究』(笠間書院2005年)P46
  3. ^ 松永和浩『室町期公武関係と南北朝内乱』(吉川弘文館2013年)P242-244


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