薩摩隼人とは?

さつまはやと [4] 【薩摩隼

古代隼人精悍勇猛な点が似ているところから〕
薩摩武士
鹿児島県出身男性をいう。

隼人

(薩摩隼人 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/15 16:25 UTC 版)

隼人(はやと)とは、古代日本において、薩摩大隅日向(現在の鹿児島県宮崎県)に居住した人々。「はやひと(はやびと)」、「はいと」とも呼ばれ、「ハヤブサのような人」の形容とも[1]方位の象徴となる四神に関する言葉のなかから、南を示す「鳥隼」の「隼」の字によって名付けられたとも[2](あくまで隼人は大和側の呼称)。風俗習慣を異にして、しばしば大和の政権に反抗した。やがてヤマト王権の支配下に組み込まれ、律令制に基づく官職のひとつとなった。兵部省被官隼人司に属した。百官名のひとつとなり、東百官には、隼人助(はやとのすけ)がある。現在は、日本人男性の人名としても用いられる。




  1. ^ 『Story 日本の歴史 古代・中世・近世史編』 日本史教育研究会 山川出版社 2001年 ISBN 4-634-01640-0 p.62
  2. ^ 鐘江宏之『律令国家と万葉びと (全集 日本の歴史 3)』95頁
  3. ^ 熊襲の後裔を隼人とする説もあるが、「クマ」も「ソ」も、隼人の阿多や大隅も九州南部の地名であり、大和政権に従わないいくつかの部族に対する名称と近年では解されている(系譜的というより独特の文化を継承した部族)。参考・武光誠 『古事記・日本書紀を知る事典』 東京堂出版 初版 1999年 ISBN 4-490-10526-6 p.223の脚注より
  4. ^ 『古事記』では、「ソバカリ」、『日本書紀』では、「サシヒレ」の名で登場し、仁徳没後、一方の皇子に命じられ、自ら従えていた皇子(主君)を殺害するも、酒を飲まされ、寝返った皇子に殺害されてしまう。体制外の武力として隼人が利用された語りである。参考・笹山晴生 『古代国家と軍隊 皇軍と私兵の系譜』 中公新書 1975年
  5. ^ 宮原武夫「律令国家と辺要」『古代東国の調庸と農民』 岩田書院、2014年。ISBN 978-4-87294-862-2 PP.118-121 (原論文発表、1986年)
  6. ^ 『Story 日本の歴史 古代・中世・近世史編』 日本史教育研究会 山川出版社 2001年 p.62
  7. ^ 小山修三(国立民族学博物館)が数理的に推計した結果では、古墳時代(土師器時代)の列島人口は約540万人とされる。参考・日本の古代5『前方後円墳の世紀』 森浩一編 中央公論社 1986年 ISBN 4-12-402538-6 p.131より。奈良時代に至っても総人口は600万に満たない(近代以前の日本の人口統計も参照)事からも、隼人の人口は総人口の100分の1前後と想定される。
  8. ^ 『日本書紀』天武朝(7世紀末)の記述として、隼人が朝廷で相撲を取った記述があるが、大和の相撲と異質であったとは記されていない。天武天皇11年(682年)、大隅隼人と阿多隼人が相撲を取り、大隅隼人が勝った記述の他、持統天皇9年(695年)、飛鳥寺の西の木の下で、隼人が相撲を取り、民衆が観戦したとある。
  9. ^ 様々な形で竹の文化を有していた為、『竹取物語』が南山城、つまり隼人の居住地で生まれた可能性も指摘されている。参考・森浩一企画 山中章 山田邦和共著 『日本の古代遺跡 28 京都Ⅱ』 保育社 1992年 ISBN 4-586-80028-3 p.45より。また、コノハナサクヤヒメのお産の際、へその緒を竹の刀で切るのも関連するものと見られる。『延喜式』隼人司の記述では、竹笠の製作も担当していた。
  10. ^ 正倉院には現在の田辺町大住周辺住民の課税記録である『山城国隼人計帳』が保存され、大隅隼人が大部分を占め、一部阿多隼人が混在していた事が分かる。考古学的にも南九州との関連を示すものも多く、中世には「隼人荘」と呼ばれるなど、奈良盆地南部と共に近畿における隼人の二大居住地であり、武埴安彦の伝承に基本的に反映しているものとされる。参考・森浩一企画 山中章 山田邦和共著 『日本の古代遺跡 28 京都Ⅱ』 保育社 1992年 ISBN 4-586-80028-3 pp.43 - 44(p.45に南山城を隼人の居住地とも記す)
  11. ^ 続日本紀養老6年(721年)4月16日条の記述として、「陸奥の蝦夷・薩摩の隼人らを征討した将軍(以下略)、通訳者に地位・功績に応じて勲位を授ける」とあり、通訳者を必要とした。
  12. ^ 『日本の考古学 Ⅳ 古墳時代 (上)』 近藤義郎 藤沢長治編 河出書房 1966年 p.158(風土が異なる事からとされる)。地理的・風土的孤立から九州南部は、弥生文化の普及が遅れ、現在でも血液指数・指紋指数が特殊な数値を示し、身長が低いなどの人類学的特徴があり、これゆえにインドネシア系種族と見る説も出た。『大宝律令』では、「異人」とも記している。
  13. ^ 『古事記』、『日本書紀』及び『続日本紀』に隼人舞は度々記述され、朝廷に御調を貢進すると共に行われ、あるいは海外異国の客人の前でも舞われていたが、その後途絶えてしまい、具体的な芸態は不明であり、その実態については諸説にわかれている。現在、ネット上の動画でみられる地方芸能の「隼人舞」は復元と自称しているが実際は近代の創作である。
  14. ^ 門脇禎二 森浩一『古代史を解く『鍵(キーワード)』』 学生社 1995年 ISBN 4-311-20194-X. pp.183 - 184より。p.184に波邪の国は隼人と解し、邪古は「ヤク」であり、屋久島を指し、多尼は「タネ」であり、種子島であると述べている。
  15. ^ 『鹿屋市史 上巻(1967年版)』ではこの説が採用されている。
  16. ^ 「地下式横穴墓」は日向・大隅・薩摩にまたがるが、「地下式板石積石室墓(現在では板石積石棺墓)」はほとんど薩摩地方に限られている。この事から考古学者の小田富士雄は、前者が隼人に広く普及した墓制であり、後者は阿多隼人独特の墓制と推測した。参考・小田富士雄『日本の考古学 IV 古墳時代 (上)』 近藤義郎 藤沢長治編 河出書房 1966年 p.163
  17. ^ 小田富士雄1966『日本の考古学 IV 古墳時代 (上)』 河出書房 p.163.
  18. ^ 乙益重隆1970「熊襲・隼人のクニ」『古代の日本3 九州』角川書店.
  19. ^ 上村俊雄1984『隼人の考古学』考古学ライブラリー30ニューサイエンス社.
  20. ^ 下山覚1995「考古学から見た隼人の生活-「隼人」問題と展望」『古代王権と交流8再開と南東の生活と文化』名著出版.
  21. ^ 永山修一1998「文献から見た『隼人』」『宮崎考古 第16号』p10~11.
  22. ^ 原口耕一郎2008「『記・紀』隼人関係記事の再検討(一)」『人間文化研究』Vol.09 名古屋市立大学.
  23. ^ 橋本達也・藤井大祐2007『古墳以外の墓制による古墳時代墓制の研究』鹿児島大学総合研究博物館、p12.
  24. ^ 男山丘陵における横穴墓についても、考古学上、横穴墓地下式横穴墓が別物であるうえ、隼人がいた九州南部には横穴墓が分布しないため、関連性に疑問がある。
  25. ^ 『古事記』に、ホデリの命が頭を下げ、「私はこれからのちは、あなた様の昼夜の守護人(もりびと)となってお仕えいたしましょう」と申し、それで今日に至るまでホデリの命の子孫たる隼人は、その海水に溺れた時の様々のしぐさを絶える事なく、演じて、宮廷にお仕え申しているのである、とある。参考・次田真幸 『古事記 (上) 全訳注』 講談社学術文庫 38冊2001年(初版 1977年) ISBN 4-06-158207-0 p.205より。武田祏吉譯注 『古事記』 角川書店 40版1969年(初版 1956年) p.69の脚注に「隼人が乱舞をして宮廷に仕える事の起源説明」とあり、隼人舞はその種族の独自の舞であるのを溺れる様の真似と説明した、と記す。
  26. ^ 次田真幸 『古事記 (上) 全訳注』 講談社学術文庫 38刷2001年(初版 1977年) ISBN 4-06-158207-0 p.192、コノハナサクヤヒメ伝説がバナナ型神話の類型とし、これが大和の『古事記』に導入された。参考・松村武雄『日本神話の研究』第二巻、大林太良『日本神話の起源』。
  27. ^ 熊谷公男 日本の歴史03『大王から天皇へ』 講談社 2001年 ISBN 4-06-268903-0 p.288より
  28. ^ 西北九州弥生人は、この地方の縄文人が弥生文化を取り入れた事でそのまま弥生人へと移行したと考えられている。参考・上田正昭他 「エコール・ド・ロイヤル 古代日本を考える 『日本古代史の謎再考』」 学生社 1983年 p.52より。つまり、内陸隼人は縄文系弥生人に近いと見られる。また、『肥前国風土記』で五島列島に隼人に似た人々がいたとする記述も、内陸隼人と同様に骨格上から西北九州弥生人にルーツを求めるのであれば、一定の説明はつく。
  29. ^ 加藤謙吉 『大和政権と古代氏族』 吉川弘文館 1991年 ISBN 4-642-02253-8 p.98
  30. ^ 加藤謙吉 『大和政権と古代氏族』 1991年 p.98
  31. ^ 加藤謙吉 『大和政権と古代氏族』 1991年 p.97
  32. ^ 加藤謙吉 『大和政権と古代氏族』 1991年 p.99
  33. ^ 『群馬県古墳時代研究会資料集 第1集 群馬県内古墳出土の武器・武具』 1995年 pp.27 - 28
  34. ^ 『文化庁編 発掘された日本列島 ’97 新発見考古学速報』 朝日新聞社
  35. ^ 門脇禎二 森浩一 『古代史を解く『鍵(キーワード)』』 学生社 1995年 p.197
  36. ^ 同『古代史を解く『鍵』』 pp.197 - 198
  37. ^ 『開館10周年記念特別展示 今来才伎 古墳・飛鳥の渡来人』 大阪府立近つ飛鳥博物館 2004年 p.26
  38. ^ a b c 上田正昭他『日本古代史の謎再考』 学生社 1983年 p.33
  39. ^ 武光誠 『古事記・日本書紀を知る事典』 p.233
  40. ^ 角林文雄(1998)「隼人 : オーストロネシア系の古代日本部族」京都産業大学日本文化研究所紀要


「隼人」の続きの解説一覧

薩摩隼人

出典:『Wiktionary』 (2008/10/31 09:14 UTC 版)

名詞

(さつまはやと)

  1. 薩摩武士に対してつかわれた美称。現在でも鹿児島県出身男性に対して使われることがある

語源





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