蕨宿とは? わかりやすく解説

蕨宿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/27 02:09 UTC 版)

蕨宿(わらびしゅく)は、日本近世にあたる江戸時代に整備され、栄えていた宿場町中山道六十九次のうち江戸日本橋から数えて2番目の宿場[注釈 2]武蔵国のうち、第2の宿[注釈 3])。


注釈

  1. ^ 「きそ-かいどう わらび-の-えき とだがわ-わたしば」 当時木曽街道と呼ばれた中山道の名所を描いた名所絵浮世絵風景画)『木曽街道六十九次』の1枚。
  2. ^ 名所絵では起点と終点も数に入れるため、表記上の数がずれる。したがって、蕨宿は「第三」の図。
  3. ^ 現在では、埼玉県に属する第1の宿。
  4. ^ 金子右馬助家忠。金子氏武蔵七党村山党から派生した支族。
  5. ^ 渋川義行による長禄年間(1457- 1460年)の築城。
  6. ^ 慶長11年(1606年)、同17年(1612年)、同19年(1614年)、元和年間(1615- 1624年)などの諸説があるが、現存史料に鑑(かんが)みて慶長17年説が有力とされる。
  7. ^ ときに時代劇でも描かれるように、閉じた町の跳ね橋は遊女の逃亡も防ぐ。
  8. ^ 今日あるような作務衣(さむえ)は、当時はまだ無い。
  9. ^ 徒歩については「歩く」「徒歩旅行」を参照。短い距離を想定した現代の不動産業の基準値は、時速4.8km(「徒歩所要時間」参照)。

出典

  1. ^ 戸田市#現行行政町名」内の町名で確認。
  2. ^ 川口市#歴史」内の旧町村で確認。
  3. ^ 美笹村」「戸田市#現行行政町名」参照。
  4. ^ 蕨市史編纂委員会編(1967)、252-256頁。
  5. ^ a b 蕨市立歴史民俗資料館の展示資料より。
  6. ^ 『中山道宿村大概帳(なかせんどう しゅくそん-だいがいちょう)』に基づく。『宿村大概帳』とは、幕府の道中奉行所が調査した五街道とその脇街道の宿場の記録で、53冊が収蔵されている。各宿場の人口、家数、本陣、旅籠の数、高札の内容、道路の広さ、橋、寺社、地域の産業、特産品など、宿場と街道筋の村落の状況が詳しく記載されており、五街道分間延絵図とともに道中奉行所が用いたものらしい。成立年代不明ながら、天保から安政1840- 1850年代)にかけての調査と考えられている。
  7. ^ a b c 亀井千歩子ほか『中山道を歩く』改訂版 山と溪谷社〈歩く道シリーズ 街道・古道〉、2006年、15- 17頁、ISBN 4-635-60037-8 :一部を除く。


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