蓮華王院本堂とは? わかりやすく解説

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三十三間堂

(蓮華王院本堂 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/10 04:00 UTC 版)

三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)は、京都市東山区三十三間堂廻町にある天台宗寺院本尊千手観音。建物の正式名称は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)。同じ京都市東山区にある妙法院の飛地境内であり、同院が所有・管理している。元は後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂で、蓮華王院の名称は千手観音の別称「蓮華王」に由来する。洛陽三十三所観音霊場第17番札所。


注釈

  1. ^ 資料によっては、このわらべ歌の「天火(てんび)」を「兵火(へいび)」とし、「戦さで焼けた」と解説しているものがあるが、そのような史実はなく、誤りである。
  2. ^ 間面記法で梁間は通常二間を前提とするため記載されないが、三十三間堂は三間である。
  3. ^ 柱心間は中央が一番広く3.95m、続いてその左右の柱間が3.65m、残りの32の柱間は3.30m。
  4. ^ 像高は久野健編『図説仏像巡礼事典』によれば165.0 - 168.5センチ、『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記編 総目録』によれば163.7 - 168.5センチ

出典

  1. ^ 後白河天皇 法住寺陵. 宮内庁、2018年11月16日閲覧。
  2. ^ 花洛一覧図:高解像度版
  3. ^ 音声資料:「京の大仏さん」わらべ歌(京都・鬼遊び)
  4. ^ 拝観のご案内(三十三間堂)および全入場者に渡されるパンフレット『国宝三十三間堂』にある境内図(2022年11月)
  5. ^ 『週刊朝日百科 日本の国宝』69(朝日新聞社、1998)、p.7 - 259 - 7 - 260(筆者は平井俊行)
  6. ^ 入江康平 (2007). “競技場としての堂射施設に関する研究”. 武道学研究 40 (2): 37-50. 
  7. ^ 観光スポット・サービス情報 三十三間堂の通し矢”. 京都観光ナビ. 2020年3月21日閲覧。
  8. ^ 「千手観音、1,001体が26年ぶり勢ぞろい 三十三間堂」朝日新聞DIGITAL(2018年10月4日)2018年10月21日閲覧。
  9. ^ 美術院と歩んだ半世紀
  10. ^ 1001体の観音さま、45年の修理終了 三十三間堂 朝日新聞 2017年12月22日
  11. ^ 「風神・雷神像が80年ぶり席替え」産経新聞』朝刊2018年8月1日(社会面)2018年8月6日閲覧。
  12. ^ 『週刊朝日百科 日本の国宝』69(朝日新聞社、1998)、p.7 - 262 - 7 - 264(筆者は根立研介)
  13. ^ 平成30 年10 月31日文部科学省告示第204号
  14. ^ 『国宝三十三間堂』、p.38
  15. ^ 『国宝三十三間堂』、p.33
  16. ^ 『国宝三十三間堂』、pp.33, 38 - 40
  17. ^ 『国宝三十三間堂』、pp.38 - 40
  18. ^ 『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記編 総目録』(参照:[1]
  19. ^ 倉田文作「像内納入品」『日本の美術』86、至文堂、1973、pp.76 - 77
  20. ^ 『週刊朝日百科 日本の国宝』69(朝日新聞社、1998)、p.7 - 274 - 7 - 275(筆者は川瀬由照)
  21. ^ (田中、2019)、pp.177 - 180
  22. ^ 全入場者に渡されるパンフレット『国宝三十三間堂』にある「国宝観音二十八部衆像」(2022年11月)および各像の説明看板
  23. ^ (田中、2019)、pp.134 - 138, 174 - 176
  24. ^ 伊東史朗「八部衆・二十八部衆」『日本の美術』379、至文堂、1997
  25. ^ (田中、2019)、pp.174 - 180
  26. ^ (田中、2019)、pp.133, 180 - 185
  27. ^ 像名と特色は(田中、2019)、pp.138 - 186による。像容については伊東史朗「八部衆・二十八部衆」による。
  28. ^ a b 三十三間堂内の解説看板より。



蓮華王院本堂(三十三間堂)(京都市東山区、国宝)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:39 UTC 版)

院政期文化」の記事における「蓮華王院本堂(三十三間堂)(京都市東山区国宝)」の解説

平治の乱ののち、平清盛後白河上皇信任得て法住寺御所近く蓮華王院造営しその本堂(三十三間堂)に千一体の千手観音像を安置するとともに宝蔵には古今東西宝物納めた。ここには、多く絵巻物制作今様蒐集など芸能中心に立ち続けた後白河法皇膨大なコレクション納められていた。

※この「蓮華王院本堂(三十三間堂)(京都市東山区、国宝)」の解説は、「院政期文化」の解説の一部です。
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