葵紋とは? わかりやすく解説

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葵紋(あおいもん)

銘文と共に刻され紋所一種で、葵紋は初代康継にはじまる。初代康継徳川家康秀忠技術認められ家康より康の一字賜り同時に三葉葵紋を切ることを許されたものであり、熱田神宮に遺されている康継奉納脇差に『両御所様ヨリ召シ出サレ武州江戸ニ於テ御剣ヲ作ル御紋康之字下サレ・・・越前康継』と切られていることにより明らかとなっている。一葉葵紋を切る刀工には、薩摩国主水正正清主馬一平安代筑前国信国重包等がいる。

三つ葉葵

(葵紋 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/25 18:46 UTC 版)

三つ葉葵[1]三葉葵[2][3][4]三つ葵[5]三葵[6]葵巴[5][4](みつばあおい・みつばあおい・みつあおい・みつあおい・あおいどもえ)は、日本家紋「葵紋」の一種で、葵の葉を3つ描いた図案の家紋のことである。通常「三つ葉葵」といえば徳川家の用いた「丸に三つ葉葵」のたぐいの紋を指すことが多い。


  1. ^ コトバンク 小学館、デジタル大辞泉、「三つ葉葵(みつばあおい)」の項目を参照、2018年10月21日閲覧。
  2. ^ 広辞苑岩波書店、第六版、「葵巴(あおいどもえ)」または「三葉葵(みつばあおい)」の項目を参照。2018年10月21日閲覧。
  3. ^ 『日本史事典』旺文社、三訂版、「三葉葵(みつばあおい)」の項目を参照。2018年10月21日閲覧。
  4. ^ a b 明鏡国語辞典大修館書店、第二版、「葵(あおい)」の項目を参照。2018年10月22日閲覧。
  5. ^ a b 『広辞苑』岩波書店、第六版、「葵巴(あおいどもえ)」の項目を参照。2018年10月21日閲覧。
  6. ^ 『広辞苑』岩波書店、第六版、「三葵(みつあおい)」の項目を参照。2018年10月21日閲覧。
  7. ^ 中ノ御門表門(大手門)の歴史と特長”. 鳥取市 (2022年4月20日). 2022年4月28日閲覧。
  8. ^ a b 高澤等著『家紋の事典』東京堂出版 2008年
  9. ^ 改正三河後風土記・三葵御紋御治定並酒井家カタバミ紋
  10. ^ 徳川幕府家譜 徳川信光の項も同様である。
  11. ^ かわら版小石川後楽園第11号”. 小石川後楽園 (2012年8月23日). 2022年4月28日閲覧。
  12. ^ PHP研究所武光誠監修『よくわかる! 名字と家紋』PHP研究所 2009年
  13. ^ 本田總一郎監修『日本の家紋大全』梧桐書院 2004年(ISBN 978-4-340-03102-3
  14. ^ 楠戸義昭著『あなたのルーツがわかる/日本人と家紋』明治書院 2010年
  15. ^ ポルトガルの壁画下に「葵紋」、修復中に発見


「三つ葉葵」の続きの解説一覧

葵紋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 18:30 UTC 版)

家紋の一覧」の記事における「葵紋」の解説

葵紋(あおいもん)は、アオイ文様化した図案の頭が内側3枚配置され三つ葉葵は、江戸時代徳川家および親族松平氏象徴する紋様であった詳細は「三つ葉葵」を参照 紋名一覧 葵紋(三つ葵丸に三つ葵徳川将軍家松平氏全国一族由来社寺 紀州三つ葵紀州徳川家 尾州三つ葵尾張徳川家 水戸三つ葵水戸徳川家 会津三つ葵会津松平家 丸に三つ三つ葵 葵紋(立ち本多立ち本多家 立ち川勝氏 花立ち 立ち 原立ち 葵紋(二葉葵賀茂葵):賀茂氏 花付き二葉葵 の丸 徳川 尾張 水戸葵 会 丸に三つ 立ち 本多三つ葵 花立ち 立ち 二葉葵

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葵紋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 16:26 UTC 版)

三つ葉葵」の記事における「葵紋」の解説

葵紋(あおいもん)はウマノスズクサ科フタバアオイ図案化したもので、フタバアオイ通常のの数は2枚である。3つのをもつフタバアオイは稀で、三つ葉葵架空のものである。葵祭見られるように賀茂氏象徴であり、葵紋は賀茂神社神紋二葉葵加茂葵になっている。その賀茂氏との繋がりが深い三河国武士団は、葵紋を家紋としてきた。これにより三河武士である徳川家が葵紋を使用していることは、徳川家清和源氏河内源氏)系新田氏世良田氏得川氏)の末裔ではなく賀茂氏末裔ではないかとの説の根拠ともなっている。『見聞諸家紋』では、丹波国西田氏の二葉葵載るが、この西田氏も賀茂神社氏子であるのが葵紋使用由来である。 豊臣家滅んだ後、徳川家康権威上がる徳川家使用紋の葵紋は特別な家紋となっていった。家康征夷大将軍となった後、次第他家三つ葉葵限らず葵紋の使用はばかられるようになり、松平家へは遠慮させ、伊奈家には禁止させている。一方で徳川家家臣である本多家本多家は葵紋にこだわり丸に立葵」の紋の使用許された)や准家門鳥取池田家池田光仲家康曾孫にあたり鳥取城中ノ御門表門大手門周辺からは葵紋瓦が出土している)のように一部葵紋の使用許されることもあった。 また、この制限によって、葵紋の形状倣った紋を河骨紋称して用い一族や家が現れたと考えられている。このように徳川将軍家下一門に制限されていたというが、江戸初期では御用商人長持どの道具に描かれていたという。また、正式に制限されたのは、享保8年1723年)のことである。

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