菊麿王妃範子とは? わかりやすく解説

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菊麿王妃範子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/26 14:01 UTC 版)

菊麿王妃 範子
山階宮
山階宮菊麿王妃範子

身位 王妃
敬称 殿下
出生 1878年12月4日
死去 (1901-11-11) 1901年11月11日(22歳没)
日本東京府東京市
埋葬 1901年11月17日
豊島岡墓地
配偶者 山階宮菊麿王
子女 武彦王
芳麿王
安子女王
父親 九条道孝
母親 野間幾子
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菊麿王妃 範子(きくまろおうひ のりこ、1878年明治11年〉12月4日 - 1901年明治34年〉11月11日)は、日本皇族山階宮菊麿王の先妃。旧摂家九条道孝公爵の次女で、貞明皇后の同母姉。

略歴

1895年(明治28年)9月14日、菊麿王と結婚[1]。菊麿王との間に武彦王芳麿王安子女王を儲けた。

1901年(明治34年)10月31日に第3子安子女王を出産するも、胎盤離脱困難と出血により急性脳貧血に陥る[2]11月1日午後8時頃より発熱(産褥熱)し、11月9日に脳症を併発すると、11月11日午前5時10分に心臓麻痺により薨去した[2][3]。薨去に先立つ11月9日、勲一等宝冠章を授与されている[4]

11月16日午前10時に、明治天皇皇后美子の御使として、宮内書記官の丹羽龍之助が山階宮邸へ遣わされ幣帛神饌を供する[5]

11月17日午前9時、明治天皇の代拝として侍従の廣幡忠朝、皇后の代拝として権掌侍の北島以登、皇太子嘉仁親王の代拝として東宮侍従の大迫貞武、皇太子妃節子の代拝として東宮女官の吉見光子が、それぞれ山階宮邸に遣わされた[6]

午後1時に、山階宮邸を出棺し東京都文京区豊島岡墓地で葬儀が行われる[6]

午後2時、明治天皇より侍従の廣幡忠朝、皇后より皇后宮亮の山内勝明、皇太子より東宮侍従の大迫貞武、皇太子妃節子[注釈 1]より東宮職御用掛の錦小路在明が、それぞれ墓所に遣わされて玉串を供えた[6]。午後5時30分に葬儀が終了した[6]

栄典

脚注

注釈

  1. ^ 範子妃の実妹、後の貞明皇后。当時は4月29日に迪宮裕仁親王を出産した後、精神的に落ち込んだ状態のまま第2子懐妊中であった(本人の項を参照)。

出典

  1. ^ 明治28年宮内省告示第13号(明治28年法令全書)(NDLJP:787997/403
  2. ^ a b 『官報』号外「宮廷録事」、明治34年11月11日(NDLJP:2948809/26
  3. ^ 明治34年宮内省告示第14号(『官報』号外、明治34年11月11日)(NDLJP:2948809/26
  4. ^ 『官報』号外、明治34年11月11日(NDLJP:2948809/26
  5. ^ 『官報』第5514号「宮廷録事」、明治34年11月18日(NDLJP:2948815/2
  6. ^ a b c d 『官報』第5515号「宮廷録事」、明治34年11月19日(NDLJP:2948816/3
  7. ^ 『官報』第3741号「叙任及辞令」、明治28年12月16日(NDLJP:2947017/3
  8. ^ 『官報』号外「叙任」、明治34年11月11日(NDLJP:2948809/26




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