花登筺
読み方:はなとこばこ(1928~1983)
"昭和3年(1928)大津市上北国町(長等一丁目)に生まれる。本名花登善之助(旧姓川崎)。昭和23年、大津で自立劇団人間座の結成に参加、後に文芸座を創立するなど演劇活動に取り組む。同33年「やりくりアパート」の脚本・演出でテレビデビュー、以後「番頭はんと丁稚どん」「細うで繁盛記」「どてらい男」などで一世を風靡した。劇団「笑いの王国」「喜劇」を主宰、昭和43年「飛騨古系」で芸術祭文部大臣賞、同57年、第一回滋賀県ブルーレイク賞を受賞。58年、56歳で没した。「泣くは人生、笑うは修業、勝つは根性」が人生訓。生涯の舞台脚本数500本、テレビ脚本6,000本に及んだ。"
花登筺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/09 14:06 UTC 版)
花登 筺(はなと こばこ、1928年〈昭和3年〉3月12日[1] - 1983年〈昭和58年〉10月3日[1])は、日本の小説家、脚本家。本名は、花登 善之助(はなと ぜんのすけ)[1]。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v “花登 筺について | 山善ミュージアム”. 株式会社山善. 山善. 2023年12月17日閲覧。
- ^ *中山千夏『幸子さんと私』P.92
- ^ ただ東宝側は「関係が切れるのは東京との間で、関西では今まで通りに……」と慰留工作をすすめ、完全な決裂とはならなかった。またその後、東宝との関係は改善されている。
- ^ 大村崑『文藝春秋 2023年1月号 101人の輝ける日本人「最後の会話 花登筺」』文藝春秋、2023年1月1日。
- ^ 『どてらい男』は山本猛夫(山善創業者)、『さわやかな男」は塚本幸一(ワコール創業者)、『じょっぱり』は淡谷のり子、『ぬかるみの女』は塚本純子(大阪の「クラブジュン」のオーナー)など、実在の人物をモデルにした作品も多い。
[続きの解説]
固有名詞の分類
- 花登筺のページへのリンク