芍陂の役とは? わかりやすく解説

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芍陂の役

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 08:48 UTC 版)

芍陂の役(しゃくひのえき)は、中国三国時代241年正始2年、赤烏4年)に、魏と呉の間で行われた戦い。呉帝孫権は、四路から魏を攻めたが、芍陂が主要な戦場であったことから芍陂の役と呼ばれている。実態としては揚州方面と荊州方面の二正面攻撃であり、戦場は広範囲に渡った。


  1. ^ 三国志全琮伝、張昭伝、顧雍伝。
  2. ^ 『三国志』呉主伝、曹芳伝、胡質伝。
    『三国志』には、司馬懿朱然を破ったという記述は無い。『異同評』朱然軍は魏軍の追撃を受け、相次いで魏軍を打ち破ると、無事に撤退した。
  3. ^ 晋書宣帝紀。『晋書』の正確性については、批判的な評価が多い。
  4. ^ 『晋書』宣帝紀


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