般若心経
「般若心経」とは、仏教の思想を説く経典のことを意味する表現である。
「般若心経」とは・「般若心経」の意味
「般若心経」とは、三蔵法師がインドから持ち帰った600もの経典の中から、大乗仏教の神髄を抜粋して262文字にまとめた経典である。数ある仏教の経典の中でも、最も短いものの1つに数えられる。一般的には「般若心経」として知られているが、正式な名称は「般若波羅蜜多心経」である。また、三蔵法師が持ち帰った経典には、若般若心経や大般若心経なども含まれる。・「般若心経」を採用している宗派
「般若心経」は仏教の様々な宗派によって採用されているが、特に法相宗・天台宗・真言宗・禅宗が代表的である。また、それぞれの宗派によって、「般若心経」の解釈も少しずつ異なる。「般若心経」を唱えるか唱えないかも宗派によって異なり、唱える宗派は真言宗・天台宗・曹洞宗・浄土宗など、唱えない宗派は浄土真宗や日蓮宗となる。いくつかの宗派が「般若心経」を唱えない理由は、「他力本願」という教えに基づいている。自分で「般若心経」を唱えて悟りを開くのではなく、阿弥陀如来の本願によって悟りを開くのが正しいとされているからである。そのほかにも、おまじないのように軽々しく唱えるものではないとの意味もあるという。
・「般若心経」はどんな時に唱えるのか?
「般若心経」は、お葬式や法事などで唱えるのが一般的である。「般若心経」の内容は、「この世界にあるもの全てには実体がないので、全てのこだわりを捨てて悟りを開こう」というものであり、故人が極楽浄土へ進むためのガイダンスとなる。そのため、お葬式や法事で唱えられている。宗派によっては、「般若心経」とほかの経典を組み合わせて唱えることもある。また、「般若心経」には心をリラックスさせる効果があるため、ストレスを感じた時に唱えると良いとされている。寝る前に唱えると、寝つきが良くなることもあるという。
・「般若心経」の唱え方
「般若心経」は、お葬式や法事では全文262文字を唱えるのが一般的であるが、知識がない人が暗記して唱えるのは難しい。フリガナを見ながら一本調子で唱えるのは、かなりの時間を要してしまう。しかし、「般若心経」の最後の文章を3回唱えると、「般若心経」全文を唱えたことになるため、仏教の知識がない人でも唱えることができる。「般若心経」は漢文で書かれているが、「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶般若心経」という文章は、サンスクリット語を音写したものである。そのため、言葉にパワーがあるとして3回唱えると全文を唱えたのと同じ効果が得られるという。
・「般若心経」の現代語訳
「般若心経」の現代語訳として、2011年頃からインターネット上に「般若心経ロック」が登場した。難解な漢文をわかりやすい現代語に訳し、子供にもわかる内容で記載されている。楽曲も作られるなど、「般若心経」に親しみやすい内容で高い支持を得た。また、NHKの情報バラエティ番組の「チコちゃんに叱られる」においても、「般若心経」の現代語訳が特集され話題になった。
・「般若心経」の写経
「般若心経」は唱えるだけでなく、写経することで功徳を積むことができる。写経は平安時代ごろから行われており、僧侶が修行として行うだけでなく、祈願成就や先祖供養などの意味を込めて、一般庶民も写経を行ってきた歴史がある。現代においては、功徳を積むという目的ではなく、心を落ち着かせたり、脳を活性化させたりするために「般若心経」の写経をする人も増えている。
「般若心経」の読み方
「般若心経」の読み方は、「はんにゃしんぎょう」である。「般(はん・たぐい・めぐ-る)」+「若(じゃく・にゃく・にゃ・わか-い)」+「心(しん・こころ)」+「経(けい・きょう・へ-る)」から構成される単語なので、漢字の読み仮名通りに読むと「はんにゃしんぎょう」となる。はんにゃ‐しんぎょう〔‐シンギヤウ〕【般若心経】
般若心経 (はんにゃしんぎょう)
般若心経
主名称: | 般若心経 |
指定番号: | 61 |
枝番: | 03 |
指定年月日: | 1954.03.29(昭和29.03.29) |
国宝重文区分: | 国宝 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | |
員数: | |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 鎌倉時代の作品。 |
般若心経
主名称: | 般若心経 |
指定番号: | 230 |
枝番: | 05 |
指定年月日: | 1956.06.28(昭和31.06.28) |
国宝重文区分: | 国宝 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | |
員数: | 1巻 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 鎌倉時代の作品。 |
般若心経
主名称: | 般若心経 |
指定番号: | 167 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1935.04.30(昭和10.04.30) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | 奥ニ天平勝宝七年〓トアリ |
員数: | 1巻 |
時代区分: | 奈良 |
年代: | 755 |
検索年代: | |
解説文: | 奈良時代の作品。 |
般若心経〈二条持基筆/〉
主名称: | 般若心経〈二条持基筆/〉 |
指定番号: | 418 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1914.04.17(大正3.04.17) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | |
員数: | 1巻 |
時代区分: | 室町 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 室町時代の作品。 |
般若心経(源頼家筆)
主名称: | 般若心経(源頼家筆) |
指定番号: | 2486 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1994.06.18(平成6.06.18) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | |
員数: | 1巻 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 体裁は焦茶金裂箔砂子銀野毛散雲霞引旧表紙を装した巻子本で、料紙は楮紙を軽く打紙して淡墨界を施している。本文は「般若波羅蜜多心経」の首題以下、全一七行にやや縦画を長めにした謹直な書風をもって一筆に書写し、ついで余白二行分を隔て、本文と同筆にて「此心経一巻為病脳祈願染愚筆謹拝書/奉納三嶋社者也、/建仁三季八月十日 従二位源朝臣頼家」の奥書がみえる。これにより本経が病悩祈願のため、将軍源頼家自らが筆を執り、頼朝ゆかりの三嶋社に奉納したことが知られる。尾題もなく、一行ごとに一六から一七・八字に不揃いに書写されたその体裁は、手本をもとに書写したものとは思われず、暢びやかにも整ったその書風は、二代将軍頼家の貴種としての教養の程を偲ばせている。 北条氏によって将軍職を追われた頼家は、以後、頼朝・実朝と異なり、鎌倉時代を通じ幕政史上に顧みられることは少なかった。そのため関係史料として残るものも少なく、発給文書として確認できるものも僅かに一四通を数えるに過ぎない。書状としては七月四日付仁和寺文書、「正治二年」五月十九日付保阪潤治氏旧蔵文書の両通が知られるのみである。これらはいずれも案文で、頼家の自筆としてはこの般若心経が唯一のものであり、『吾妻鏡』にみる頼家病悩の記事を証する遺品としても貴重である。 巻末の識語以下によって、一時巷間に流失した本経が、享保八年(一七二三)五月、亀井重矩の手によって三嶋社別当愛染院に奉納され、さらに廃仏後の明治二十九年、官幣大社三嶋社に納められて現在に伝わった経緯が知られる。 |
般若心経
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/31 04:44 UTC 版)
般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみったしんぎょう、梵: Prajñā-pāramitā-hṛdaya、プラジュニャーパーラミター・フリダヤ)は 空の理法をさとることが根本思想とされる大乗仏教の教理が、短いこの一巻の中にすべて納まっているといわれてきた経である。
注釈
- ^ 唐代の 7 世紀後半頃から広く用いられた名称。[4]
- ^ 最澄、円仁が唐から持ち帰ったものとされるが原本は残存しない。
- ^ ナティエ論文への言及かは定かでない。
- ^ 新規に石経が発見されたということではなく、以前から保管されていた石経を鑑定した結果らしいが、後報、詳報は未見である。
- ^ この小本は漢文からの重訳ではなく、ほぼサンスクリット直訳に近い翻訳である。[25]
- ^ 河口慧海将来本、トク・パレス本がこれに属する[27]。
- ^ リタン・復刻ジャン版、デルゲ版、北京版、チョネ版などがこれに属する[27]。
- ^ ラサ版がこれに属する。[27]
- ^ こばやし しょうせい (1876 - 1937年)茨城県古川市出身。明治~昭和前期の真言宗僧侶。
- ^ 「na vidyā」。この句は玄奘訳やチベット語訳にはない。
- ^ 「na vidyākṣayo」。この句は玄奘訳やチベット語訳にはない。
- ^ 涅槃は、川の流れ(四暴流)に打ち勝って向こう側(彼岸)に渡ることに喩えられた。
- ^ 立川武蔵は2001年の著作『般若心経の新しい読み方』でこの伝統的な空思想で捉える従来の立場を踏襲している[31]。
- ^ 原田は、この解釈は「法相宗の基『般若波羅蜜多心経幽賛』に端を発し、華厳宗の澄観の手で定着化されたようだ」と見ている[32] 。
- ^ 佐保田鶴治はヒンドゥー哲学・ハタヨーガ実践者としての体験から自説を展開している[33]。
- ^ 福井文雅は、般若心経の核心部は心呪の効能を説く後半部と真言自体であるとし[34]、般若心経ほどの短い経文の中に空観を前提として般若波羅蜜多(咒)の功徳を併せ説き、それを唱えれば「能く一切の苦を除く」と強調している経典は他に無く、それを般若心経が後世にまで人々を引きつけた理由だと主張している[35]。
- ^ 宮坂宥洪は般若心経は心の在りようを説いたものではなく具体的なマントラ実践の教説であると論を展開している[36]。
- ^ 「ガテー」を√gamの過去分詞であり、プラークリット文法により男性・複数・対格で、文脈により「~し始めた」という意味に捉えるべきだとしている。すなわち「行き始めたものたち」(√gamし始めた)である。そしてこれらは船に喩えられているという[42]。しかも、ボーディは√budh(目覚める)ではなく√bhū(存在する)とし、ヴェーダ語文法により二人称のアオリスト命令法であり、さらに「スヴァーハー」の原義をヴェーダ語文法からsu+√vāh+ā、つまり「よく運ぶ」の具格と理解するという新解釈を提示し[43]、全体的に「「行き始めた〔船たち〕を率いてください」という意味だとする[42]。
- ^ 阿(ほとり)は同論文で、「ガテー」の解釈を6通り挙げている[45]。
- ^ この経は654年訳出となっているが[47]、玄奘の心経訳出(649年)より後である。
出典
- ^ 中村&紀野 1960, p. 162.
- ^ 渡辺 2015, p. 23.
- ^ 大正新脩大蔵経データベース(T0251_.08.0848c04 - c23)
- ^ 荒見 2018, pp. 1–18.
- ^ 梵本心経および尊勝陀羅尼 - 梵本心経および尊勝陀羅尼 e国宝
- ^ 金岡 2001, p. 138.
- ^ 金岡 2001, pp. 141–147.
- ^ 金岡 2001, pp. 151–152, 155–156.
- ^ Nattier 1992, pp. 153–223.
- ^ 産経新聞平成6年7月6日「般若心経 インド製か中国製か」
- ^ 工藤 1995, pp. 20–21.
- ^ 大和 1996, pp. 6–8.
- ^ 福井 1994, p. 81.
- ^ 原田 2002, pp. 17–62.
- ^ 工藤&吹田 2006, pp. 17–83.
- ^ 石井 2015, pp. 499–492.
- ^ 「房山石経『心経』、現存する最古の版に」「中国網日本語版(チャイナネット)」2016年9月26日
- ^ 金岡 2001, p. 158.
- ^ 渡辺 1990, pp. 54–58.
- ^ 開元釈教録 卷第八に「般若波羅蜜多心經一卷見内典録第二出與摩訶般若大明呪經等同本貞觀二十三年五月二十四日於終南山翠微宮譯沙門知仁筆受」とある。(T2154_.55.0555c03-04)
- ^ 原田 2002, pp. 17–18.
- ^ あかぎたかゆき 1970年生 日本高麗浪漫学会理事
- ^ 『玄奘訳「般若心経」の伝来と流布』史觀 172 1-21, 2015 pdf p.7上段
- ^ 上山 1965, p. 782.
- ^ 上山 1965, p. 780.
- ^ 川崎 2000, pp. 455.
- ^ a b c d e 川崎 2000, pp. 456–455.
- ^ 金岡 1973, p. 149.
- ^ T0251_.08.0848c04 - c23
- ^ 大崎 正瑠「サンスクリット原文で『般若心経』を読む」『総合文化研究』第19巻第1-2号、2013年12月、41-59頁、NAID 40021301742。
- ^ 原田 2002, pp. 28–19.
- ^ 原田 2002, p. 61.
- ^ 『般若心経の真実』1982年 人文書院 ISBN 978-4409410073
- ^ 福井 1987, pp. 24–25.
- ^ 福井 1987, p. 28.
- ^ 『般若心経の新世界:インド仏教実践論の基調』1994年 人文書院ISBN 978-4409410578[要ページ番号] 、この基調は2004年出版の一般向け書籍『真釈般若心経』ISBN 978-4043760015[要ページ番号] にも一貫している。
- ^ 竹中智泰(たけなかちたい、1945年生)『般若心経の陀羅尼』「臨済宗の陪羅尼」1982年 東方出版 所収 p.137-146、(初出 1977年7月「臨済会報」108号)p.143-146
- ^ 中村元・紀野一義訳 註『般若心経・金剛般若経』p.37 。
- ^ 渡辺照宏『般若心経真言の正解(下)』中外日報1975年12月3日、神崎照恵『般若心経講話』1971年 成田山新勝寺p.167
- ^ 田久保周誉『般若心経解説』1973年 山喜房仏書林 p51,p90-91
- ^ 阿 2008, pp. 873–870.
- ^ a b 阿 2008, pp. 871–870.
- ^ 阿 2008, pp. 872–871.
- ^ 阿 2008, p. 870.
- ^ 阿 2008, p. 872.
- ^ 大正新脩大藏經 佛説陀羅尼集經卷第三 大唐天竺三藏阿地瞿多譯 般若波羅蜜多大心經(印有十三呪有九) 般若大心陀羅尼第十六 「般若大心陀羅尼第十六呪曰 跢姪他(一)掲帝掲帝(二)波羅掲帝(三)波囉僧掲帝(四)菩提(五)莎訶(六) 是大心呪。」( T0901_.18.0807b19 - 21 )。
- ^ 佐々木 2003, p. 139.
- ^ T33-535b
- ^ 石井 2015, p. 495.
- ^ 『大谷光瑞猊下述 般若波羅密多心經講話』 1922年 大乗社 影印 。
- ^ http://www.nicovideo.jp/watch/sm11982230
- ^ 【ネット番記者】ポップな「般若心経」 - MSN産経ニュース - ウェイバックマシン(2010年10月6日アーカイブ分)
- ^ http://otakei.otakuma.net/archives/2014021803.html
- ^ 「食べる般若心経!? 群馬「新田乃庄」のほうとうが謎すぎてネット騒然! 2017年11月28日 更新」2021年1月4日閲覧
般若心経
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 12:41 UTC 版)
玄奘訳の般若心経には前段に菩薩、後段に菩提薩埵と音写した2種の訳語が使い分けられている。般若心経にこのような用語が使われているのは漢訳における語源学風解釈(nirukti, etymology)で、意図的に〈菩提+薩埵〉と分割したという説がある 。
※この「般若心経」の解説は、「菩薩」の解説の一部です。
「般若心経」を含む「菩薩」の記事については、「菩薩」の概要を参照ください。
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