興産大橋とは? わかりやすく解説

興産大橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 15:33 UTC 版)

宇部興産専用道路」の記事における「興産大橋」の解説

興産大橋(こうさんおおはし)は、宇部市大字小串と同市大西沖の山の間の宇部港内(厚東川河口)を跨ぐとして、1982年昭和57年3月開通設計・施工建材製造全てを、当時宇部興産その子会社・関連会社が行なったものである。これが可能となった背景には、当時宇部興産本体及び関連会社富士車輌鋼構造物工事建設業許可持ち鋼橋の製作を手がけていたことや子会社建設コンサルタント宇部興産コンサルタント)が存在したことによるところが大きい。 運河航路確保するために36mの下高が必要であった一方起終点人工島海底炭田跡)で標高が低いことから、中央部向かって6%の急勾配となっている。 当時上部工事宇部興産宇部鉄工所富士車輌共同企業体の代表責任者務めた宇部興産専務藤野清回顧によれば宇部港沖の海苔漁場影響与えず建設する必要があったため、基礎杭鋼管重量6,400t、上部構造重量10,000tという巨大な橋梁一括架橋するという手法採用された。 橋梁4つ部分分けて工場製作し本州四国連絡橋架橋用に建造され世界最大級(3,000トン)のフローティングクレーン船「武蔵」で吊り上げ宇部港まで運搬橋台設置する作業長岡技術科学大学教授当時)の笹戸松二監修の下で、横河工事(現・横河ブリッジ)と日本鋼管(現JFEエンジニアリング)の共同企業体協力により行われた。これら一連の工事は、21ヶ月間で無事故のうちに完工したという。 興産大橋は、1982年昭和57年)に日本鋼構造協会業績賞受賞、翌1983年昭和58年)には民間企業発注としては初め土木学会田中賞受賞している。

※この「興産大橋」の解説は、「宇部興産専用道路」の解説の一部です。
「興産大橋」を含む「宇部興産専用道路」の記事については、「宇部興産専用道路」の概要を参照ください。

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