與謝野晶子とは? わかりやすく解説

よさの‐あきこ【与謝野晶子】

読み方:よさのあきこ

[1878〜1942歌人。堺の生まれ旧姓(ほう)。鉄幹の妻。新詩社代表する歌人として雑誌明星」で活躍明治浪漫主義新時代開いた歌集みだれ髪」「小扇」「舞姫」「恋衣」(共著)、現代語訳源氏物語」など。


与謝野晶子 よさの あきこ

与謝野晶子の肖像 その1
明治11年12月7日昭和17年5月29日(1878~1942

大阪生まれ歌人詩人。堺女学校卒業明治32年(1899)関西青年文学会に参加33年(1900与謝野鉄幹東京新詩社参加し、『明星誌上短歌掲載鉄幹恋愛関係となり上京34年19018月みだれ髪』を発表反響呼んだ同年鉄幹結婚その後日本浪漫主義代表する歌人として多く歌集発表した日露戦争の際発表した詩「君死にたまふことなかれ」も著名『源氏物語』現代語訳大正10年1921文化学院創立への参加婦人問題教育問題への積極発言など短歌以外にも幅広い分野において活躍した

キーワード 文学者
号・別称 晶(ほうしょう)
著作等近代デジタルライブラリー収載
  1. みだれ髪 / 与謝野晶子著 東京新詩社, 明34.8 <YDM86641>
  2. 小扇 / 与謝野晶子著 金尾文淵堂, 明37.1 <YDM85928>
  3. 毒草 / 与謝野寛鉄幹), 与謝野晶子著 . 訂4版 本郷書院, 明37.9 <YDM85398>
  4. 舞姫 / 与謝野晶子著 如山堂, 明39.1 <YDM86555>
  5. 夢之華 / 与謝野晶子著 金尾文淵堂, 明39.9 <YDM86748>
  6. 常夏 / 与謝野晶子著 大書店, 明41.7 <YDM86367>
  7. 佐保姫 / 与謝野晶子著 日吉丸書房, 明42.5 <YDM86001>
  8. 女子のふみ / 与謝野晶子著 弘学館, 明43.4 <YDM80800>
  9. / 江南文三, 与謝野晶子著 誠文館, 明43.1 <YDM204045>
  10. 一隅より / 与謝野晶子著 金尾文淵堂, 明44.7 <YDM95976>
  11. 春泥集 / 与謝野晶子著 金尾文淵堂, 明44.2 <YDM86101>
  12. 畿内見物. [1], [2], [3] / 高安月郊, 与謝野晶子等著 金尾文淵堂, 明44-45 <YDM25304>
  13. 青海波 / 与謝野晶子著 有朋館, 明45.1 <YDM86179>
  14. 新訳源氏ものがたり. [1], [2], [3], [4] / 与謝野晶子訳 金尾文淵堂, 明45, 大2 <YDM89009>

(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の近代日本人の肖像」の内容を転載しております掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)

与謝野晶子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/23 06:01 UTC 版)

与謝野 晶子(よさの あきこ、正字:與謝野 晶子1878年明治11年)12月7日 - 1942年昭和17年)5月29日)は、日本歌人作家思想家。本名は与謝野 志やう(よさの しょう)。旧姓(ほう)[1]。ペンネームの「晶子」の「晶」は、本名から取ったもの。夫は、同じく歌人の与謝野鉄幹


注釈

  1. ^ a b 生家の駿河屋は大道筋 - 西六間筋間の街区にあった。この街区と西六間筋は、戦災復興事業によって大道筋を50メートル道路へ拡幅するための道路用地に充てられ、現在は道路上となっている。
  2. ^ 『柵草紙』とその後継誌『めざまし草』は、いずれも森鴎外を中心にした同人誌。
  3. ^ うち1人は生後2日で亡くなる。
  4. ^ 鴎外の紹介により、三越の事実上のオーナーである日比翁助から洋行費の補助として千円が贈与された[4]
  5. ^ 出発に際して平塚らいてうなど総勢500余名が見送ったという。
  6. ^ その中で鴎外は、「僕が特に言わなくてはならない事は無いだらう。併し樋口一葉さんが亡くなってから、女流のすぐれた人を推すとなると、どうしても此人であらう。晶子さんは何事にも人真似しない。個人性がいつも確かに認められる。(中略)序だが、晶子さんと並べ称することが出来るかと思ふのは、平塚明子さんだ。(下略)」と評した。ちなみに、与謝野鉄幹とも親交があった鴎外は、晶子が産んだ双子(七瀬、八峰)の名づけ親になっており、当時、母を亡くして落胆していた晶子に「婿きませひとりは山の八峰越えひとりは川の七瀬わたりて」という歌を送った[5]
  7. ^ 1930年に女学部長就任[6]
  8. ^ 日露戦争当時は満州事変後の昭和の戦争の時期ほど言論弾圧が厳しかったわけではなく、白鳥省吾木下尚江中里介山大塚楠緒子らにも戦争を嘆く詩を垣間見ることができる。
  9. ^ 入江春行によれば、「中国をやっつけろと盛り上がる世論の中で、悲しいと詠む歌は発表できなかったのだろう」という[18]
  10. ^ 七瀬はのちに有島武郎の甥と、八峰は孝橋謙二と結婚した。

出典

  1. ^ a b "与謝野 晶子". 「20世紀日本人名事典」(2004年刊). コトバンクより2022年5月14日閲覧
  2. ^ 「婦人と文学」宮本百合子。跡取りの男児が望まれていたため、晶子は12歳まで男の子の格好で過ごした。
  3. ^ a b 北俊夫 編『郷土の発展につくした先人』偕成社〈しらべよう!47都道府県〉、2021年4月、27-29頁。 
  4. ^ 金子(1992)、295頁。
  5. ^ 金子(1992)、288-289頁、299頁。
  6. ^ 沿革”. ryotokuji.ac.jp. 文化学院. 2022年5月14日閲覧。
  7. ^ 神奈川近代文学館『生誕140年与謝野晶子展 こよい逢ふ人みなうつくしき』神奈川近代文学館、2018年3月17日、34頁。 
  8. ^ 神奈川近代文学館『生誕140年与謝野晶子展 こよひ逢ふ人みなうつくしき』神奈川近代文学館、2018年3月17日、62頁。 
  9. ^ a b 読売新聞 2015年10月31日 38面掲載。
  10. ^ a b 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)353頁
  11. ^ 歴史が眠る多磨霊園: 与謝野晶子
  12. ^ さかい利昌の杜”. 2023年3月3日閲覧。
  13. ^ 『みだれ髪』ほるぷ出版、1984年8月1日、258頁。 
  14. ^ 幸津國生『「君しにたまふことなかれ」と『きけ わだつみのこえ』・「無言館」』文芸社、2001年12月15日、26,27頁。 
  15. ^ a b 『知ってるつもり?!恋愛放浪記』日本テレビ放送網、1993年10月17日、162-165頁。 
  16. ^ 「駄獣の群 与謝野晶子」『読売新聞』、1915年(大正4年)12月12日、朝刊、7ページ、日曜付録。
  17. ^ 与謝野寛、与謝野晶子『『鉄幹晶子全集』第16巻』勉誠出版、2004、255-258頁。 
  18. ^ 東京新聞2014年7月12日
  19. ^ 与謝野晶子 著、松平盟子 編『母の愛 与謝野晶子の童話』婦人画報社、1998年12月5日、11頁。 
  20. ^ 平子恭子『年表作家読本 与謝野晶子』河出書房新社、1995年4月15日、92頁。 
  21. ^ 香内信子『與謝野晶子と周辺の人びと』創樹社、1998年7月25日、148,154頁。 
  22. ^ 廣岡守穂「福祉と女性(3) 急進的フェミニスト・与謝野晶子の歌と思想」『白門』61巻9号、中央大学通信教育部、2009年9月、25頁。
  23. ^ 鎌倉市芸術文化振興財団 編『恋ひ恋ふ君と 与謝野寛・晶子』鎌倉市芸術文化振興財団、2006年4月28日、30頁。 
  24. ^ 北俊夫 編『郷土の発展につくした先人』偕成社〈しらべよう!47都道府県〉、2021年4月、27-29頁。 
  25. ^ a b 与謝野晶子の日露戦争 | 鳥飼行博研究室 2023年6月13日閲覧。
  26. ^ a b c d e f g h i j k l m n 与謝野晶子について | 与謝野晶子倶楽部 2020年10月22日閲覧。
  27. ^ a b 『日本文学アルバム 第16 与謝野晶子』(筑摩書房、1955年)p.8
  28. ^ a b c d e f g h 「与謝野家系図」” (PDF). 新修版 与謝野晶子 歌碑・文学碑めぐり. 与謝野晶子倶楽部. 2022年2月15日閲覧。
  29. ^ 『ラテン語と日本語の語源的関係』著者プロフィールより
  30. ^ 与謝野 信|公認候補者|2017年 衆院選特設サイト|「この国を、守り抜く。」自由民主党 2020年10月22日閲覧。
  31. ^ 平子恭子『年表作家読本 与謝野晶子』河出書房新社、1995年4月15日、136頁。 
  32. ^ 鎌倉市芸術文化振興財団 編『恋ひ恋ふ君と 与謝野寛・晶子』鎌倉市芸術文化振興財団、2006年4月28日、39頁。 
  33. ^ 平子恭子『年表作家読本 与謝野晶子』河出書房新社、1995年4月15日、90頁。 
  34. ^ 越水利江子他『文に生きる絵に生きる-与謝野晶子、ビクトリア・ポター、リリアン・ヘルマン、いわさきちひろ』岩崎書店、2000年4月20日、37頁。 
  35. ^ 茨木のり子『君死にたもうことなかれ 与謝野晶子の真実の母性』童話社、2007年4月3日、127頁。 
  36. ^ 産経新聞取材班『親と子の日本史 上巻』扶桑社、2004年6月30日、271-275頁。 
  37. ^ 産経新聞取材班『親と子の日本史 上巻』扶桑社、2004年6月30日、273頁。 
  38. ^ 茨木のり子『君死にたもうことなかれ 与謝野晶子の真実の母性』童話社、2007年4月3日、79頁。 
  39. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修室『NHK年鑑'68』日本放送出版協会、1968年、142-143頁。 





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