じゆうみんけん‐ろん〔ジイウミンケン‐〕【自由民権論】
自由民権運動
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自由民権運動(じゆうみんけんうんどう、旧字体:自由民權運󠄁動、英: The Freedom and People's Rights Movement, Liberty and Civil Right Movement, The Liberty and Civil Right Movement)とは、明治時代の日本において行われた、憲法制定や国会開設のための政治運動ならびに社会運動である。
注釈
- ^ 朝鮮政府の抗戦の意思は明確で、日本に仲介を求める動きも期待できず、アメリカ艦隊が長崎から出航している状況のなかでは日本への猜疑が強まる可能性もあった。
- ^ 当時、岐阜県御嵩(みたけ)警察署御用掛であった岡本都與吉が、3月26日から4月8日までの板垣一行の動静をまとめて4月10日に御嵩警察署長に提出した「探偵上申書」に記載されている。また岐阜県警部長の川俣正名が岐阜県令に対して提出した供覧文書には、板垣が刺客に対して、自分が死ぬことがあったとしても「自由は永世不滅ナルベキ」と笑った、と記録されている。
- ^ 松方デフレにより、経済的余裕のあった富農層も次第に運動への熱意を失いつつあった。稲田 2009、p.125。
出典
- ^ 高松宮家『幟仁親王行実』1933年、184頁、NDLJP:1212495/158。
- ^ a b c d 『自由黨史』板垣退助監修、五車楼
- ^ 丸山真男「自由民権運動史」(丸山真男著『戦中と戦後の間 1936-1957』みすず書房 1976年)309ページ
- ^ a b 『我国憲政の由来』板垣退助著(所収『明治憲政経済史論』国家学会編、東京帝国大学)
- ^ 『億兆安撫国威宣揚の(明治天皇)御宸翰』早稲田大学所蔵
- ^ 『億兆安撫国威宣揚の御宸翰謹解』髙岡功太郎現代語訳、一般社団法人板垣退助先生顕彰会
- ^ a b 鈴木安蔵は「板垣(退助)君並に立志社先輩諸氏は武士階級の教育を受け育った人々であり、彼等の述べるところの自由主義とは『泰西大家の新説』と日本文化によって醸熟された武士道精神の融合により誕生したものである」とする。
- ^ 『立国の大本』板垣退助著、第三章・君民二致なし「元來、世の聵々者流は、君主々義といひ、民本主義といふが如く、各其一方に偏し、始めより兩者を相對立せしめて議論を立つるが故に、理論上兩者相敵對するが如き形を生じ、其爭の結果、社會の秩序を紊亂するに至る也。抑も予(板垣退助)の見る所を以てすれば、君主と人民とは決して相分つべきものにあらず。何となれば君主といひ人民といふも、決して單獨に存在するものにあらずして、人民ありての君主、君主ありての人民なるを以て也。則ち既に君主といふうちには、人民の意志の綜合、換言すれば輿論の結晶體といふ意味が含まれ、人民といふうちには又た之を統治して其秩序を維持する所の、最高權を執る者の存在すといふ意味が含まる。是故に民無くして君在るの理無く、人民無きの君主は一個の空名たるに過ぎず。(中略)專制君主と雖も其理想は實に人民を撫育し、其安寧幸福を求むるに在り。是故に君主と人民とは二にあらずして一也。決して始めより相敵對すべき性質のものにあらず。兩者は始めより其目的を同うし、利害を齊うせるものにして、恰も唇齒輔車の關係に在り。(中略)君主々義の神髓は卽ち取りも直さず民本主義の神髓たる也。(中略)君主々義といひ若くは民本主義と稱して、互に相爭ふが如きは、抑も誤れるの甚だしきものにして、君民は同一の目的を以て相契合融和し、共同して經綸を行ふべきものたることを知るに難からざるべし。而かも特に我邦の體制に於ては、君民の關係は恰かも親子の關係の如く、先天的に既に定まり(中略)我邦に於ては建國の始めより、君民一體にして、君意と民心は契合して相離れず。之が爲めに我邦に在ては毫も禪讓若くは選擧の形式を躡むの必要無く、人民の總意、輿論は直ちに君主によりて象徴せられ民意は卽ち君意、君意は卽ち民意にして君民は一にして決して二致無き也」より。
- ^ 坂野潤治・田原総一朗『大日本帝国の民主主義』小学館,2006年,190頁
- ^ a b c d e f “『板垣精神』”. 一般社団法人 板垣退助先生顕彰会 (2019年2月11日). 2020年11月1日閲覧。
- ^ 原田1997、142-150頁。
- ^ 丸山真男著『戦中と戦後の間 1936 - 1957』みすず書房 1976年 310ページ
- ^ 犬塚 2005、pp.5-9。
- ^ 知っていましたか? 近代日本のこんな歴史|板垣退助暗殺未遂事件〜「板垣死すとも自由は死せず」〜
- ^ 『日本の有名一族』小谷野敦、幻冬舎新書、2007
- ^ 所収『明治憲政経済史論』国家学会編、東京帝国大学、238頁
- ^ 原文「大野宰次郎氏が馳せ来たつてただちに板垣君にひしと抱きつき、「嗚呼残念なるかな」と一声叫びて落涙雨の如く右の袖を(板垣)君の身体より滴る血潮にひたして泣きしたうさま、熱心哀情が面に溢れて殆ど名状すべからざる有様なり。板垣君はこの哀声を聞かるゝに頭を廻らして静かに曰く「嘆き玉ふな板垣は死すとも自由は亡びませぬぞ」と。嗚呼、この一言は我々自由家の記念として、以て後世に傳ふべきものなり」(『大阪朝日新聞』明治15年(1882年)4月11日号)
- ^ 原文「尚褧、再び突かんとして君(板垣)と共に倒れしが、君はとくはね起きて、兇徒を睨みつけ『板垣は死すとも自由の精神は決して死せざるぞ』と言はるゝ言葉の果てざるに、またもや面部へ切り掛りたり」(『有喜世新聞』明治15年(1882年)4月11日号
- ^ 板垣退助暗殺未遂事件 ~「板垣死すとも自由は死せず」~ アジア資料歴史センター
- ^ 原文「君神色自若、毫も平生に異ならず、顧みて諸氏を労りかつ謂て曰く「たとい退助は死すとも自由は死せず。誰がわが党を指して「過激なり」といふ。彼、かえつてこの過激のことを成す」と」(『板垣君岐阜遭難記録』岩田徳義著、明治26年(1893年)
- ^ 女性の活躍は高知から!『らんまん』にも登場“民権ばあさん” 島崎和歌子さん演じる女性 史実では歴史を動かしていた 2023年04月28日(NHK高知放送局)
- ^ 「詳説 日本史研究」:353ページ、山川出版社
- ^ 昭和天皇、1977年(昭和52年)8月23日の会見
- ^ 『昭和天皇発言録―大正9年~昭和64年の真実』高橋紘編、小学館、1989年、241頁
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