爆弾三勇士
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爆弾三勇士(ばくだんさんゆうし)とは、独立工兵第18大隊(久留米)の江下武二(えした たけじ)、北川丞(きたがわ すすむ)、作江伊之助(さくえ いのすけ)の3名の一等兵である。1932年に第一次上海事変で敵陣を突破して自爆し、突撃路を開いた英雄とされる。肉弾三勇士とも言われた。
注釈
出典
- ^ 半藤一利「特攻隊と日本人」『オール讀物』2010年7月号、p.224
- ^ 三國一朗『戦中用語事典』岩波書店、1985年、p.77
- ^ 肉弾三勇士(kotobank)
- ^ 中内敏夫『軍国美談と教科書』岩波書店 1988年 p88
- ^ 青山英子「国民的英雄になった「爆弾三勇士」 “作られた美談”の真相」『西日本新聞』、2020年5月25日。2021年2月18日閲覧。
- ^ 事件・犯罪研究会編『明治・大正・昭和 事件・犯罪大事典』p.474(東京法経学院出版、1986年)
- ^ 佐藤忠男『日本映画史1 1896-1940』岩波書店、1995年、p.426
- ^ この部分「<05年[芸能学会]研究大会>研究発表 肉弾三勇士雑話--戦争プロパガンダと芸能」『藝能』 (13), 19-32, 2007-03 藝能学会、『松竹70年史』
- ^ 佐藤忠男『増補版日本映画史2 1941-1959』岩波書店、2006年、p.396
- ^ 下川耿史 編『昭和・平成家庭史年表』河出書房新社、2001年3月、43頁。ISBN 978-4309223704。
- ^ “初等科音楽:三勇士”. コロムビア (1943年2月). 2020年4月17日閲覧。
- ^ 新田藤太郎(kotobank)
- ^ 肉弾三勇士 青松寺(2007年11月30日時点のアーカイブ)
- ^ [1] 北川伍長像
- ^ [2] 爆弾(肉弾)三勇士の故郷を訪ねて
- ^ 堀内敬三『定本 日本の軍歌』(実業之日本社、1969年)P272
- 1 爆弾三勇士とは
- 2 爆弾三勇士の概要
- 3 研究書・関連書籍・関連文献
肉弾三勇士
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詳細は「爆弾三勇士」を参照 「爆弾三勇士」とも。第一次上海事変時、国民革命軍第19路軍が上海郊外に築いた陣地の鉄条網に対して、突撃路を築くため、点火した破壊筒をもって敵陣に突入爆破し、自らも爆死した独立工兵第18大隊(久留米)の3名の一等兵(戦死後に伍長)のことを指す。昭和期に入って初めての軍神。 江下武二 伍長 北川丞 伍長 作江伊之助 伍長 東京・芝の青松寺には、彼らの銅像の一部が残されている。 また、田河水泡著「のらくろ」の『少年倶楽部』1932年5月掲載分にこれをモチーフにした描写がある。その内容は、のらくろの部隊も参加した戦いで、鉄条網破壊作戦に志願した3名が背に爆弾を背負い鉄条網に向かって行きそのまま爆死するというもの。のらくろはその戦の功績(敵大将を生け捕った)で上等兵に昇格したが、戦死した決死隊3名の墓前で涙を流す、珍しい作風の締めとなっている。のちに刊行された単行本『のらくろ上等兵』でリライトされた際には、3名が破壊筒を携えていく、実際の「三勇士」に近い描写に変更されている。
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