職業としての小説家とは? わかりやすく解説

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職業としての小説家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/01 19:48 UTC 版)

職業としての小説家
著者 村上春樹
イラスト 写真:荒木経惟
発行日 2015年9月10日
発行元 スイッチ・パブリッシング
ジャンル エッセイ
日本
言語 日本語
形態 上製本
ページ数 315
コード ISBN 978-4884184438
ウィキポータル 文学
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職業としての小説家』(しょくぎょうとしてのしょうせつか)は、村上春樹の自伝的エッセイ[注 1]

概要

2015年9月10日、スイッチ・パブリッシングより刊行された[1]。雑誌『MONKEY』に連載されたエッセイ「村上春樹私的講演録 職業としての小説家」、『考える人』に掲載された講演原稿[注 2]、および書き下ろしの文章から成る。

台頭するインターネット書店への対抗策として、紀伊國屋書店が本書の初版10万冊のうち9割を出版社から直接買い取ったことで話題となった。紀伊國屋書店は9万冊のうち3万~4冊を自社店舗で販売し、残りを他社の書店に供給するという戦略をとった[2]

2016年10月1日、新潮文庫として文庫化された[3]

『MONKEY』Vol.7(2015年10月15日)に「『職業としての小説家』刊行記念 村上春樹インタビュー」が掲載された。聞き手は川上未映子[4][注 3]。川上のインタビューはのちに『みみずくは黄昏に飛びたつ』(新潮社)に収録された。

内容

タイトル 掲載誌 取り上げられている人物・作品・事物等
第一回 小説家は寛容な人種なのか 『MONKEY』2013年10月7日発行 Vol.1 マルセル・プルーストジェームズ・ジョイス
第二回 小説家になった頃 『MONKEY』2014年2月15日発行 Vol.2 デイブ・ヒルトン[注 4]アゴタ・クリストフ、『風の歌を聴け』、向井滋春高瀬アキ杉本喜代志川口大三郎事件[注 5]
第三回 文学賞について 『MONKEY』2014年6月15日発行 Vol.3 レイモンド・チャンドラーネルソン・オルグレン芥川龍之介賞群像新人文学賞
第四回 オリジナリティーについて 『MONKEY』2014年10月15日発行 Vol.4 『火星の人類学者』(オリヴァー・サックス)、『春の祭典』、ズビグニェフ・ヘルベルト
第五回 さて、何を書けばいいのか? 『MONKEY』2015年2月15日発行 Vol.5 ポール・ヴァレリー、『KAFKA/迷宮の悪夢』(1991年)、『E.T.』(1982年)、
アーネスト・ヘミングウェイ
第六回 時間を味方につける──長編小説を書くこと 『MONKEY』2015年6月15日発行 Vol.6 アイザック・ディネーセン、『ダンス・ダンス・ダンス』、レイモンド・カーヴァー
第七回 どこまでも個人的でフィジカルな営み 書き下ろし アンソニー・トロロープ、フランツ・カフカ
第八回 学校について 書き下ろし 福島第一原子力発電所事故
第九回 どんな人物を登場させようか? 書き下ろし サマセット・モームカート・ヴォネガット・ジュニア、『悪霊
第十回 誰のために書くのか? 書き下ろし コインロッカー・ベイビーズ』(村上龍)、「ガーデン・パーティー」(リック・ネルソン[注 6][注 7]
第十一回 海外へ出て行く。新しいフロンティア 書き下ろし アマンダ・アーバン、サニー・メータ、ゲーリー・フィスケットジョン、ロバート・ゴッドリーブ、
リンダ・アッシャー、チップ・キッド、アルフレッド・バーンバウムジェイ・ルービン
フィリップ・ガブリエル、テッド・グーセン
第十二回 物語があるところ・河合隼雄先生の思い出 考える人』2013年夏号 河合隼雄

翻訳

翻訳言語 翻訳者 発行日 発行元
ドイツ語 Ursula Gräfe 2016年 DuMont Buchverlag
イタリア語 Antonietta Pastore 2017年 Einaudi
中国語 (繁体字) 頼明珠 2016年1月22日 時報文化
中国語 (簡体字) 施小煒 2017年1月 南海出版公司
韓国語 梁潤玉 2016年4月25日 現代文学

脚注

注釈

  1. ^ 帯文の言葉より。「自分的エッセイ 村上春樹『職業としての小説家』」と書かれてある。
  2. ^ 2013年5月6日、村上は河合隼雄物語賞・学芸賞創設を記念して公開インタビューとスピーチを京都大学で行った。そのスピーチの原稿が『考える人』2013年夏号に掲載された。
  3. ^ 2015年11月28日~29日に郡山市で開催された文学講座「ただようまなびや 文学の学校」に村上はゲスト出演。会場で朗読を行うほか、28日に川上未映子が行った短歌のワークショップにも参加した[5]
  4. ^ 村上はデビュー間もない頃『ナンバー』1980年10月5日号に「デイヴ・ヒルトンのシーズン」というエッセイを寄稿している。同エッセイは長い時を経て『村上春樹 雑文集』(新潮社、2011年1月)に収録された。
  5. ^ (僕らがいつも使っていた文学部の教室でも、ノンポリの学生が一人殺害されました)スイッチ・パブリッシング版37頁とあるが、これは川口大三郎事件である。
  6. ^ 村上は「僕が作家になり、本を定期的に出版するようになって、ひとつ身にしみて学んだ教訓があります。それは『何をどのように書いたところで、結局はどこかで悪く言われるんだ』ということです」と言い、リック・ネルソンが1972年に発表したヒット曲「思い出のガーデン・パーティー」の歌詞を引用する。「もし全員を楽しませられないのなら/自分で楽しむしかないじゃないか」[6]
  7. ^ 辺境・近境』所収の「メキシコ大旅行」でも村上は「ガーデン・パーティー」の歌詞を引用している。「彼はそんな熱い思いを託して『ガーデン・パーティー』という曲を書いた。リックはその中でこう歌った。『もし思い出の他に歌うものがないのなら、僕はトラック運転手にでもなるさ(If memories were all I sang, I'd rather drive a truck)』と」[7]

出典




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