織田敏定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 09:32 UTC 版)
織田 敏定(おだ としさだ)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将。尾張国下四郡の守護代。室町幕府の管領斯波氏の家臣。清洲織田氏(織田大和守家)の当主。清洲三奉行の一家「織田弾正忠家」の織田信定(織田信長の祖父)の父とする系図もあるが仮冒の可能性も指摘されており、真偽は不明。
注釈
- ^ 『尾張群書系図部集』掲載の享年44からの逆算。
- ^ 朝倉教景の女子に「織田弾正忠久長室、敏定母」とある[3]。
- ^ 新井喜久夫の『織田信長辞典』では親子関係には無理があると指摘し、兄弟か従兄という説を説いている。
- ^ 織田信長の祖父にあたるという[4]。
- ^ 万松寺の住職。織田信秀の伯父で一説に子とされる。
- ^ 元々は尾張8郡のうち知多・海東(海西郡とも)は一色氏の領地であった。
出典
固有名詞の分類
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