統合作戦
統合作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 04:51 UTC 版)
冷戦終結までのイギリス軍において複数の軍種による協同のための恒常的な組織は設置されておらず、必要が生じるつどその場限りで3軍いずれかの司令官が協同作戦の司令官を務める体制であった。フォークランド紛争もその例外では無く、さらに当時のイギリスにはフォークランド諸島での不測事態への備えが存在していなかった。3軍協同作戦の司令官に任命された海軍艦隊司令官は、急遽地中海で実施される演習への派遣部隊を指揮していた海軍少将を戦域における全兵力の前線指揮官に充てた。しかし海軍少将は過大な兵力を指揮する負荷を担わされることになった。戦場から1万キロメートル以上離れたイギリス本国は前線に対して広範な政治統制と作戦指導を企てた。この過程で前線指揮官は本国との調整に多くの労力を割くことを強いられ、かたや本国の政府や国防省も議会及び報道機関に状況を知らせるために詳細な状況報告を求めたことで、前線と本国の間に大容量かつ長時間の通信が必要とされ、意思決定に遅延を招いた。多くの協同作戦が紛争中に実施されたが、その際協同作戦能力の不足に起因する誤射事件さえ発生した。 こうしたフォークランド紛争の教訓が生かされるようになったのは、ようやく冷戦終結後に至ってのことであった。冷戦終結後に平和の配当への要求と財政難を踏まえて、イギリス軍に対しても経費を削減する一方で一層の効率性が求められるようになった。その過程で示されるようになった方向性は、政策と運用の分離による作戦の効率性の追求であり、国防省本部の役割は前者に限定されるようになった。この方向性のもと、政策及び軍事戦略と軍事作戦との間の明確な責任範囲と関係形成が求められた。また、3軍の恒常的な統合作戦への備えとして、計画・準備段階から危機に際しての作戦遂行・戦力回復・事後の戦訓の蓄積までを一貫して担わせる組織の設立が支持された。こうした協同から統合への方向性は情報通信技術の革新・統合化による効率性の追求・3軍の固定的な区分に由来する国防能力発揮への障害が認識されたことといった社会の変革によって促進され、常設統合司令部の設置による恒久的な統合作戦のための体制がとられるようになった。
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