細川通薫とは? わかりやすく解説

細川通薫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 16:31 UTC 版)

細川 通董(ほそかわ みちただ)は、戦国時代の武将。通重(みちしげ)、通頼(みちより)とも(通頼は通董の父であるとする説もある)。細川野州家庶流出身で[1]、野州家の家督を継承したと考えられる[2]


注釈

  1. ^ 父を細川晴国、母を河野通直娘、養父を細川通政とする「長府細川系図」が存在するが、信憑性が低く事実とは考えられていない[1]。また、細川通頼を実父であるとする説もある。
  2. ^ 永正9年(1512年)に之持は死去している

出典

  1. ^ a b c d 馬部隆弘 著「細川晴国・氏綱の出自と関係-「長府細川系図」の史料批判を兼ねて-」、天野忠幸; 片山正彦; 古野貢 ほか 編『戦国・織豊期の西国社会』日本史史料研究会、2012年。 /所収:馬部 2018, pp. 500–537
  2. ^ 畑, 和良 (2012-03-31), “細川通董の野州家相続とその背景”, 倉敷の歴史, 22, NCID AN10285979, https://sitereports.nabunken.go.jp/124514 
  3. ^ 馬部隆弘「細川澄元陣営の再編と上洛戦」『史敏』通巻14号、2016年。/所収:馬部 2018
  4. ^ 馬部隆弘「細川高国の近習と内衆の再編」『史敏』通巻13号、2015年。/所収:馬部 2018, p. 144
  5. ^ 馬部隆弘「細川晴国・氏綱の出自と関係-「長府細川系図」の史料批判を兼ねて-」『戦国期細川権力の研究』(吉川弘文館、2018年)
  6. ^ 金光町史編纂委員会『金光町史 史料編』(金光町、2001年)
  7. ^ 金光町史編纂委員会『金光町史 史料編』(金光町、2001年)
  8. ^ 金光町史編纂委員会『金光町史 史料編』(金光町、2001年)
  9. ^ 金光町史編纂委員会『金光町史 史料編』(金光町、2001年)
  10. ^ 金光町史編纂委員会『金光町史 史料編』(金光町、2001年)


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