細川晴貞
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細川 晴貞(ほそかわ はるさだ)は、戦国時代の細川氏の一族。通称は五郎。官途名は刑部大輔。一説に最後の和泉守護(上守護)とされる人物である。
- ^ 『座中天文日記』大永7年11月18日条
- ^ 『証如上人日記』天文5年5月20日条。なお、同日記の同年正月16日条では「泉州守護息五郎」として登場する。
- ^ 『証如上人日記』では、その後天文8年3月11日条にも「和泉守護五郎」が登場し、更に同15年11月16日条や同16年3月13日条にも活動の形跡が記されている。
- ^ ともに、京都府立総合資料館所蔵『板原家文書』4号。
- ^ 晴貞が次男でありながら嫡子になれたのは、兄の細川元春(もとはる)が(庶長子だったからなのか)後継者から外れて分家したからである(地下家の一覧を参照)。
- ^ 『朽木集』には著者燈誉良然と「和泉屋形五郎」が天文19年9月29日に和歌の遣り取りをしたことが記されている。五郎(晴貞)に関する記述が多い『証如上人日記』では天文17年6月4日条を最後に登場しなくなる。
- ^ 藤孝の子孫である熊本藩細川家の所収文書には晴貞の直筆とみられる「刑部大輔晴貞」書状(『細川家文書』二所収)が含まれているにもかかわらず、晴貞の経歴については全く伝えられておらず、歴代の当主としても記録されていない。そのため、元常が最後の和泉守護および藤孝の養父として記録されている。
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