紙本金地著色洛中洛外図とは? わかりやすく解説

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紙本金地著色洛中洛外図 (富山県)


紙本金地著色洛中洛外図 (岡山県)


紙本金地著色洛中洛外図〈狩野永徳筆/八曲屏風〉

主名称: 紙本金地著色洛中洛外図〈狩野永徳筆/八曲屏風
指定番号 154
枝番 00
指定年月日 1995.06.15(平成7.06.15)
国宝重文区分 国宝
部門種別 絵画
ト書
員数 一双
時代区分 桃山
年代
検索年代
解説文:  京都市中と郊外の諸名所屏風画面描きだす洛中洛外図は、広く流行したものとみられるが、桃山時代前期遡る作例は、本図の他には三条本(重要文化財)、高橋本(重要文化財 以上、ともに国立歴史民俗博物館保管)が知られているにすぎないなかでも本図は、金雲の上直接なされた寺社武家公家邸宅などを示す墨書二三二か所を数え三条本の六一か所よりはるかに多い。登場する人物圧倒的に多く年中行事民衆風俗も、数多く描かれる。他本を凌駕する豊かな内容は、いきいきとした細密描写によって表現されている。
 本図描いた画家は、両隻に捺された朱文円郭壺形「州信」印を用いた狩野永徳一五四三一五九〇)であると見做される筆者判明する洛中洛外図作例は他にない点で貴重なばかりでなく、筆者日本絵画史上最も著名な画家ひとりであることが特筆される
 本図描かれ景観は、全てがある特定の時点対応するものではないと思われるが、永禄四年(一五六一三月将軍足利義輝三好義興【よしおき】邸を訪れにあたって新造された冠木門見出されることが指摘されている。本図全体景観年代には諸説があるが、景観年代本図制作年代に必ずしも直結するとはかぎらない他方本図伝来した上杉家資料によれば本図は、天正元年一五七三)あるいは二年に織田信長から上杉謙信贈られ屏風相当する考えられている。これを本図制作年代下限考えれば本図制作年代永禄四年から天正元年頃までの間に求められるであろう。さらに厳密な制作年代を知ることは、今後の課題である(口絵解説参照されたい)。

紙本金地著色洛中洛外図〈/六曲屏風〉

主名称: 紙本金地著色洛中洛外図〈/六曲屏風
指定番号 1409
枝番 00
指定年月日 1958.02.08(昭和33.02.08)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 絵画
ト書
員数 一双
時代区分 江戸
年代
検索年代
解説文: 江戸時代作品

紙本金地著色洛中洛外図〈/六曲屏風〉

主名称: 紙本金地著色洛中洛外図〈/六曲屏風
指定番号 1923
枝番 00
指定年月日 1994.06.28(平成6.06.28)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 絵画
ト書
員数 一双
時代区分 室町桃山
年代
検索年代
解説文:  徳川家康によって二条城天守閣築城される以前の京の景観描いた洛中洛外図としては、町田家旧蔵本(重要文化財 昭和一五五・三国立歴史民俗博物館保管)、上杉家旧蔵本(重要文化財 昭和二八三・三 米沢市所有)が知られるが、本屏風は、それらにならぶ数少ない洛中洛外図古本であり、比較近年見出されたものである
 主要な景観配置東西方向街路向きなど、基本的な構成、および人物の風俗上杉本共通するものの、簡略化認められ人物の数も少ない。
 下京隻には、画面やや上寄り賀茂川流れ、その向こうに向かって左手を北として、白川から清水寺三十三間堂までの東山の景が、賀茂川の手前に向かって左端の内裏から東寺までの景が描かれる上京隻は画面上方に、向かって右手を北として千本閻魔堂から松尾神社までの北山から西山社寺描かれ下方には公方邸、細川邸などの武家邸宅中心に烏丸通り上り西、一条より北の景が描かれている。
 画風は直信印や元信印をもつ扇面洛中洛外共通するところもあり、狩野派の一工房制作になるものとみなされる制作時代は室町時代末から桃山時代前期の間と考えられる
 洛中洛外図遺品多数にのぼるが、桃山時代前期遡るものは三例し知られておらず、洛中洛外図の展開を考えるうえで貴重な作品いえよう

紙本金地著色洛中洛外図〈/六曲屏風〉

主名称: 紙本金地著色洛中洛外図〈/六曲屏風
指定番号 1925
枝番 00
指定年月日 1994.06.28(平成6.06.28)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 絵画
ト書
員数 一双
時代区分 桃山
年代
検索年代
解説文: 二条城は、慶長七年一六〇二)五月に修築開始され翌年四月には完成していたと考えられるが、これを契機として以後右京隻の中心に二条城を描く新たな形式洛中洛外図数多く制作されている。本屏風は、そのなかで一双揃ったものとしては最も古い作品として知られるのである
 左京隻は画面やや上寄り賀茂川横切り、その向こうに向かって左手を北として、吉田社、糺【ただす】あたりから南は伏見城までの景観が、賀茂川の手前は向かって左端の内裏から、五条御影堂までの洛中描かれる右京隻は向かって左手を南として、嵐山から鞍馬にいたる西山から北山背景二条城、その左に西本願寺東寺、右に所司代屋敷北野社などが描かれる二条城を巡るように、祇園祭御輿渡御描かれる
 景観的には、北野社修築された慶長十二年(一六〇七)以降方広寺鐘楼建造され内裏御門造営され慶長十九年(一六一四以前様相示している。
 本屏風蔵する勝興寺文明三年一四七一)に現在の福光町創建されたと伝え現在の地に移ったのは、天正十二年(一五四八)のこととされる。その翌年から、本寺はこの地を支配した前田家庇護を受けることとなり、前田家姻戚関係を結ぶとともに住職迎えてもいる。本図第二十代住職の攝常(天保五年・一八四三歿)に嫁した鷹司准后息女輿入れ道具伝えるが、これを裏付ける具体資料はない。
 本図には必ずしも豊富とはいえいながら数々風俗狩野派正系をひく絵師によって描かれており、貴重な遺品いえよう

紙本金地著色洛中洛外図〈/六曲屏風〉

主名称: 紙本金地著色洛中洛外図〈/六曲屏風
指定番号 1948
枝番 00
指定年月日 1996.06.27(平成8.06.27)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 絵画
ト書
員数 一双
時代区分 江戸
年代
検索年代
解説文:  京の町を南北の線で分かち、右隻に左京から東山にかけての景観を、左隻に二条城を含む右京および北山から西山にいたる景観描いたのである富山勝興寺【しようこうじ】本(重要文化財)、および左隻のみが残る文化庁本(旧山岡家本)などとともに基本的に二条城天守出現機に新たに作られ洛中洛外図定型代表する一本としてすでによく知られている。ただし、先の二本比べて画面の構成変化与えて京都繁栄豊かに描く点に、本屏風大きな特色がある。すなわち、先の二本において三扇にわたって描かれていた二条城は、本屏風では一扇半ほどを占めるにすぎず、これにかわって町家景観画面半分近く占めるまでに大きく扱われ、しかも町筋折り曲げて描かれることによって、賑やかな印象与えるものとなっている。描かれた人物は、両隻あわせていずれの作例にもまさる三、六〇〇近くにのぼる。二条城を描く新し定型のもっとも初期作例一つであるとともに、さらに豊富な風俗事象盛り込んで勝興寺本とは異な生彩があり、洛中洛外図の展開を示す重要な作例である。
 描かれ景観多岐にわたり、一元的景観年代決めがたいが、慶長十八年(一六一三)に修築がなった内裏南門がすでに描かれていること、寛永元年一六二四)十月にほぼ取壊し終わった伏見城がいまだ丁寧に描かれていることなどから、少なくともほぼ元和年間一六一五一六二三)の景観と見ることができる。さらに、元和元年一六一五)に大仏殿東南祥雲寺の地を与えられてここに移転した智積院がすでに描かれる一方西本願寺伽藍記録伝えられる元和三年一六一七)の焼亡以前の姿にいまだに対応している点なども注目される
 いずれにせよ画風からみて、本屏風制作年代このような景観年代をさほど下らないころと考えてよいであろう。山や樹木、円みのある人物など描きかたには狩野派とは異な特徴がみられ、当時町絵師筆者想定することもできよう
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