ちくぜん‐びわ〔‐ビハ〕【×筑前×琵×琶】
筑前琵琶
筑前琵琶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 15:45 UTC 版)
「筑前琵琶」も参照 筑前琵琶は明治時代中期に橘智定(たちばなちてい)が薩摩で薩摩琵琶を研究して帰り、筑前盲僧琵琶を改良、新しい琵琶音楽を作り出した。琵琶奏者の鶴崎賢定(つるさきけんじょう)や吉田竹子がこの新しい琵琶音楽を広めるのに一役買った。明治29年、橘智定は東京へ進出し、演奏活動を開始して注目を浴びた。そして雅号を旭翁と号し、筑前琵琶 橘流を創始、明治天皇御前演奏をするなど急速に全国に広まった。橘流は創始者である初代旭翁の没後、「橘会」と「旭会」の二派に分かれ現在に至る。また吉田竹子の門下から高峰筑風(高峰三枝子の父)が出て一世を風靡したが、後継者がなくその芸風は途絶えた。筑前琵琶の音楽は薩摩琵琶に比べ曲風がおだやかであり、楽器、撥ともやや小柄である。胴の表板は桐に変わり、音色は薩摩琵琶に比べ軟らかい。調絃も三味線に準ずるようになった。女性奏者に人気が出、娘琵琶としても流行した。また一時期は花柳界にも「琵琶芸者」なるものが存在した。薩摩琵琶では歌(語り)と楽器は交互に奏されるが、筑前琵琶の音楽には三味線音楽の要素が取り入れられており、歌いながら琵琶の伴奏を入れる部分がある。著名な曲としては「湖水渡」「道灌」「義士の本懐」「敦盛」「本能寺」「石堂丸」などがある。筑前琵琶の種類は四絃と、四絃より音域をより豊かにする為に初代 旭翁とその実子である橘旭宗 一世によって考案された五絃があり、五絃の方が全体にやや大きい。撥も五絃用のものの方がやや開きの幅が広く、いくらか薩摩のものに近い。柱はいずれも五柱(四絃五柱、五絃五柱)。この他、高音用の「小絃」、低音用の「大絃」も作られたが、一般的に普及はしていない。
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「筑前琵琶」の例文・使い方・用例・文例
- 筑前琵琶という楽器
筑前琵琶と同じ種類の言葉
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