第二特務艦隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 02:25 UTC 版)
第二特務艦隊(だいにとくむかんたい)とは、日英同盟に基づいて日本が第一次世界大戦に連合国側で参戦した際、マルタ島を中心とする地中海海域において連合国側の輸送船団護衛作戦に従事した日本海軍の遠洋派遣部隊である[1]。 後述の通り、この艦隊の戦果は欧州の各国首脳に達し、直接戦火を交えなかったにもかかわらず第一次大戦終結後においてヴェルサイユ体制下での連合国(戦勝国)としての「五大国」への仲間入りや国際連盟での常任理事国就任に大きな役割を果たした。
- ^ a b c d 防衛研究所 2019.
- ^ “地中海で戦った日本海軍兵 特務艦隊 出動せよ!!【前編】 [Imperial Navy]”. ジャパン・ジャーナルズ. 2019年2月18日閲覧。
- ^ a b c d e “地中海で戦った日本海軍兵 特務艦隊 出動せよ!!【後編】 [Imperial Navy]”. ジャパン・ジャーナルズ. 2019年2月18日閲覧。
- ^ “「地中海で戦ったこと忘れないで」甦る日本艦隊への評価 地中海の小国マルタ 第一次大戦開戦100年”. 産経ニュース. (2014年8月3日)
- ^ 第二特務艦隊のマルタ到着は前述の通り1917年4月13日であり、受託建造協定はその2週間前の1917年3月29日に締結された
- ^ 外務省 2017.
- ^ “第一次世界大戦の「地中海の守護神」 日本海軍兵曹 英ポートランド島で追悼式”. 産経新聞 (2019年2月16日). 2019年2月18日閲覧。
- 1 第二特務艦隊とは
- 2 第二特務艦隊の概要
- 3 評価
- 4 その後
第二特務艦隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 16:29 UTC 版)
詳細は「第二特務艦隊」を参照 第二特務艦隊(二特)は、地中海縦断航路の護衛を担当するため、マルタ島に派遣された。オーストリア=ハンガリー帝国海軍の軍港があるアドリア海は、オトラント海峡にて封鎖(オトラント海峡封鎖)されていたが、オーストリア海軍やドイツ海軍の潜水艦は隙間から地中海に出撃して通商破壊を実施していた。3個特務艦隊の中でもっとも危険な海域に派遣されたのが第二特務艦隊である。1年半の派遣期間中に、雷撃を受けた駆逐艦「榊」乗組員をはじめ78名の死者を出した。本艦隊の拙いが懸命な護衛は、連合軍諸国からも高く評価され、佐藤司令官は各国元首から賞賛され、謁見を許可されている。1921年、摂政裕仁親王は、訪欧の際にマルタ島の二特戦死者慰霊碑への訪問を強く要望した。
※この「第二特務艦隊」の解説は、「特務艦隊」の解説の一部です。
「第二特務艦隊」を含む「特務艦隊」の記事については、「特務艦隊」の概要を参照ください。
- 第二特務艦隊のページへのリンク