竹内文書
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竹内文書(たけうちもんじょ、たけのうちもんじょ、磯原文書、天津教文書ともいう)は、古代の文書。いわゆる神代文字で記された文書と、それを武烈天皇の勅命により武内宿禰の孫の平群真鳥が漢字とカタカナ交じり文に訳したとする写本群と、文字の刻まれた石、鉄剣など、一連の総称。天津教の聖典とされる。竹内文書の信奉者は、原本は後述の裁判に提出されたのちに東京大空襲によりほぼ焼失したと主張している。
- ^ 『戸来村キリスト伝説と竹内文献の謎』有賀龍太
- ^ 「天空浮船」地球への降臨当初からあった空を飛ぶ船。上古第一代の統治期に「大空乗公運尊」(おそらのりあるきのみこと)が天空船や水船を建造したという記述がある。天空浮船は1日8,000-11,000里(約32,000-44,000キロ)飛行できたという。
- ^ a b c d 布施泰和 『「竹内文書」の謎を解く』 成甲書房 2003年 ISBN 4880861561
- ^ 長山靖生『偽史冒険世界 カルト本の百年』筑摩書房、1996年、177ページ
- ^ 長山靖生「竹内文献創作の起源と増幅」 『別冊歴史読本 古史古伝と偽書の謎』(新人物往来社、2004年) ISBN 4-404-03077-0 87頁
- ^ 宗教政策担当ウィリアム・K・ヴァンスの報告が存在
- ^ a b 高坂和導 「〔超図解〕竹内文書」 徳間書店 ISBN 978-4198602611
- ^ 近代日本における「偽史」の系譜──日本人起源論を中心として──長谷川亮一
- ^ 中村(1999),pp.183-185.
- ^ a b 高山文彦『麻原彰晃の誕生』新潮文庫2006年11月1日、p110-113.
竹内文書
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『竹内文書』によれば、神武天皇以後の御世ではかなり希少な金属になっており、祭祀用の鈴や剣、装身具、富山県の皇祖皇太神宮本殿の屋根などに用いられたが、時代とともに資源が枯渇したのか、精錬技術が失われていったのか、雄略天皇の時代に日の神十六菊形紋の鏡を二枚作ったのを最後にヒヒイロカネは精錬されなくなったとされている。 酒井勝軍による調査で、草薙の剣ほかヒヒイロカネ製の装飾品を竹内巨麿邸にて発見し、酒井が主宰した月刊誌『神秘之日本』に発表している。その時、酒井が竹内邸で発見したヒヒイロカネ製の装飾品のかなりが「錆びて」おり、酒井が加工することで本来の輝きを取り戻したとされ(八幡書店刊『竹内文献資料集成』に写真が掲載されている)、ヒヒイロカネとはいえ本当に永久不変ではなく、保存状態が悪いと錆びてしまうらしいが、なぜ酒井がヒヒイロカネの加工技術を知っていたかは酒井の家族ですら知らない。なお、世界最高の切れ味を誇るといわれる日本刀の加工技術も、ヒヒイロカネの加工技術が一部使われていると酒井らは考えていた。 古代ギリシャに伝わるオリハルコンとヒヒイロカネは同一の物質であり、ともに「生きた金属=オーラを発する」と酒井は述べている。酒井自身が「これこそがヒヒイロカネである」と仲間に語った物質は岩手県で産出する餅鉄であるが、これは鉄の含有率の高い単なる磁鉄鉱である。
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