竹内式部一件とは? わかりやすく解説

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宝暦事件

(竹内式部一件 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/03 09:42 UTC 版)

宝暦事件(ほうれきじけん)は、江戸時代中期に尊王論者が弾圧された最初の事件。首謀者と目された人物の名前から竹内式部一件(たけのうちしきぶいっけん)とも呼ばれる[要出典]


注釈

  1. ^ 桜町天皇の父である中御門天皇は幼少期に両親を失って祖父の櫛笥隆賀に育てられ、成人後も隆賀を重用したために隆賀が大きな影響力を発揮していた。
  2. ^ 当時、天皇の正配になれるのは皇族か摂関家出身の女性だけのため[1]
  3. ^ 式部が三宅尚斎に対して上下の分を憚らずに論争を起こしたことで、上下関係の秩序を重んじる一条兼香が、三宅と親交があったこともあって式部の存在を危険視するようになり、その認識を道香も承けたことで垂加神道否定論につながったとされる[4]
  4. ^ 久我敏通は宝暦6年2月25日に死去。
  5. ^ 鷹司のものも存在していたが、現在は散逸。
  6. ^ (通常の)蟄居処分後の宝暦9年に死去した勘解由小路資望は除く。裏松光世は寛政の内裏再建の際に勅免を受ける[21]
  7. ^ 元々、一条道香と近衛内前は「官位御定」(桜町上皇と一条兼香が作成し、道香の名前で出された官制改革)を巡って激しく対立し、両者の間に確執があった[22]
  8. ^ 禁裏小番の最終的な人事権は天皇にあり、近衛と天皇の間で合意があった可能性が高い。
  9. ^ なお、正親町は一条家の家礼、櫛笥は近衛家の家礼である[24]
  10. ^ 当主の隠居・落飾によって、徳大寺家では西園寺公晃の子・徳大寺実祖(7歳)を、中院家では久世栄通の次男・中院通古(11歳)を、西大路家では山科頼言の次男・西大路隆要(7歳)を、桜井家は当主氏福実弟である桜井兼文(19歳)を、裏松家は四辻公亨の弟・裏松公圭(20歳)を、町尻家は吉田兼雄の次男・町尻量原(20歳)を急遽養子に迎えている[26][27]

出典

  1. ^ 石田俊 2021, p. 96-97.
  2. ^ a b 林大樹 2021, pp. 278–279(第二部第二章「宝暦事件の再検討」- 本書の書き下ろし)
  3. ^ 富山市史編纂委員会編『富山市史 第一編』富山市史編纂委員会、1960年4月。p.654.
  4. ^ 大貫大樹 2023, pp. 442–443(第二篇第六章「宝暦事件再考」- 本書の書き下ろし)
  5. ^ 林大樹 2021, p. 232(第二部第一章「宝暦事件の基礎的考察」- 本書の書き下ろし)
  6. ^ 大貫大樹 2023, pp. 443–444(第二篇第六章「宝暦事件再考」- 本書の書き下ろし)
  7. ^ 林大樹 2021, pp. 280–281(第二部第二章「宝暦事件の再検討」- 本書の書き下ろし)
  8. ^ 林大樹 2021, pp. 281–282(第二部第二章「宝暦事件の再検討」- 本書の書き下ろし)
  9. ^ 大貫大樹 2023, pp. 450–460(第二篇第六章「宝暦事件再考」- 本書の書き下ろし)
  10. ^ 林大樹 2021, pp. 292–294(第二部第二章「宝暦事件の再検討」- 本書の書き下ろし)
  11. ^ 林大樹 2021, pp. 294–296(第二部第二章「宝暦事件の再検討」- 本書の書き下ろし)
  12. ^ 林大樹 2021, p. 276(第二部第二章「宝暦事件の再検討」- 本書の書き下ろし)
  13. ^ 林大樹 2021, p. 306(第二部第二章「宝暦事件の再検討」- 本書の書き下ろし)
  14. ^ a b 林大樹 2021, pp. 296–305(第二部第二章「宝暦事件の再検討」- 本書の書き下ろし)
  15. ^ 林大樹 2021, pp. 285–286(第二部第二章「宝暦事件の再検討」- 本書の書き下ろし)
  16. ^ 林大樹 2021, p. 273(第二部第二章「宝暦事件の再検討」- 本書の書き下ろし)
  17. ^ 『道香卿記』宝暦8年7月24日条所収「烏丸光胤等連署内奏書」
  18. ^ a b 林大樹 2021, pp. 288–292(第二部第二章「宝暦事件の再検討」- 本書の書き下ろし)
  19. ^ 林大樹 2021, pp. 281–285(第二部第二章「宝暦事件の再検討」- 本書の書き下ろし)
  20. ^ 林大樹 2021, p. 226-231(第二部第一章「宝暦事件の基礎的考察」- 本書の書き下ろし)
  21. ^ 田中暁龍 2020, p. 278-280.付表
  22. ^ 大貫大樹 2023, p. 367(第二篇第四章「竹内式部の思想受容とその伝播」- 初出は「竹内式部の思想受容とその伝播:宝暦事件の前史として」『明治聖徳記念学会紀要』復刻56、2019年。)
  23. ^ 林大樹 2021, pp. 158–161(初出は「近世の近習小番について」『論集きんせい』第40号、2018年。)
  24. ^ 林大樹 2021, pp. 313–326(初出は「宝暦事件後の朝廷」『学習院史学』第54号、2016年。)
  25. ^ 林大樹 2021, p. 308(第二部第二章「宝暦事件の再検討」- 本書の書き下ろし)
  26. ^ 田中暁龍 2020, p. 184.
  27. ^ 田中暁龍 2020, p. 194.
  28. ^ 松澤克行 「山科頼言の議奏罷免と宝暦事件」(朝幕研究会編 『論集 近世の天皇と朝廷』 岩田書院、2019年、P257-280.
  29. ^ 林大樹 2021, p. 246(第二部第一章「宝暦事件の基礎的考察」- 本書の書き下ろし)


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