立憲君主とは? わかりやすく解説

立憲君主制

(立憲君主 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 14:46 UTC 版)

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注釈

  1. ^ 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』「君主」の原文:
    伝統的には,国家において特定の1人が主権を保持する場合のその主権者をさす。 〔中略〕 しかし,立憲君主制の確立に伴いその権能は次第に制限され,一般的行政権外交権官吏任命権などを保持するにとどまるようになり,さらに進んで名目化,象徴化する傾向が顕著である。「君主は君臨すれども統治せず」という表現はこのような傾向を象徴するもので,イギリスの君主はその典型である。ベルギー憲法下の国王や日本国憲法下の天皇もこの原理によるものといわれるが,両憲法は国民主権に立脚するもので,君主の名目化,象徴化が最も進んでおり,もはや「君臨する」といえるかどうかさえ疑問である[8]
  2. ^ 『日本大百科全書』「立憲君主制」の原文:
    第一次世界大戦前のドイツや戦前の日本でも憲法は存在したが、そこでは、君主や天皇が行政権を掌握し、数々の強大な大権を有し、議会の権限はきわめて弱かったから、立憲君主制といってもそれは名ばかりで、とうていこれらの国々は民主主義国家とはいえなかった。このような立憲君主制は外見的立憲主義とよばれ、イギリスのような立憲君主制は議会主義的君主制とよばれる。
     第二次世界大戦後も君主を擁する国々――その数はいまや十数か国にすぎない――が存在するが、そのほとんどはイギリス型の立憲君主制をとっており、ベルギー、ルクセンブルクなどのように憲法上、国民主権主義を明記している国もある。戦後日本では、憲法上、国民主権主義を明確化し、天皇主権主義を廃止し、天皇は政治的権限をもたない象徴的地位についた。この意味で戦後の日本は、事実上、国民主権主義をとる民主国家と規定できよう。[4][13]
  3. ^ 榎原猛『君主制の比較憲法学的研究』有信堂、1969年、46頁以下。ただし榎原の分類においては、君主主義的立憲君主制度と専制君主制度(主権者たる君主が国権を発動するに際し、独立機関を通じず直接行使すること)との区分が、やや明白ではないように思われる。榎原は、1960年代のサウジアラビア、ネパールを「専制君主制度」とし、同年代のモナコ、エチオピアを君主主義的立憲君主制度としている。しかしネパールについては、一応は憲法典が存在したのであり、「外見的立憲君主制度」の君主主義的立憲君主制度の国と分類できなくはないはずである。また榎原自身、モナコは「専制君主国に数えることも法理的に無理ではないであろう」(同書125頁)とし、エチオピアは「われわれをして、『立憲君主制度』といいきることに、若干のためらい与える」(同書147頁)として、分類に迷いが見られる。
  4. ^ 憲法および他の法令には「立憲君主制」や「君主」に対する直接的な記述はなく、日本政府の見解としては立憲君主制とみなしても差し支えないとしている一方で、学説として議論がある。なお明治以降、大正昭和平成令和期現在に至る天皇の地位の解釈及び学説は#日本を参照。また、象徴天皇制及び日本国憲法第1条も参照。
  5. ^ 国王が首相を兼任し、閣僚、裁判官、立法評議会議員の任免も国王が掌握しているなど、事実上の絶対君主制にある。
  6. ^ マレーシアの国王は正式にはアゴンと呼ばれ、各州の君主による輪番制である。象徴的存在であり実権を有さない。象徴元首も参照。
  7. ^ 儀礼的な行為も含め全ての政治的権限を失い、称号のみ存在する形のスウェーデンの立憲君主制は「象徴君主制」とも評される。
  8. ^ アンドラ公国は、「公国」と冠しているものの世襲の君主は存在せず、実態はフランス元首(大統領)とウルヘル司教の2名の共同大公を戴く議会制である。憲法で国民主権が明記され、また元首の職務も大公使の接受、法律・条約の認証など儀礼的であり、実際の外交権は内閣が、条約の締結は国会が行使する
  9. ^ サモア独立国の国家元首(大首長またはオ・レ・アオ・オ・レ・マーロー)は世襲の4人の大首長から選出されることが慣例となっており敬称も殿下であるなど君主制の性格を有している一方で、その選出は議会が行い、任期(5年)が定められているなど共和制の性格も有しており、国によっては同国を共和国とみなしている場合がある。なお日本の外務省は同国の政体は「選挙により国家元首を選ぶ制度」としている。
  10. ^ 君主号は、1957年に「スルターン」(Sultan) から「国王」(King) に変更された。

出典

  1. ^ 吉岡知哉 著「立憲君主制」、下中直人 編『世界大百科事典』(改定新版)平凡社、2009年、548頁。 
  2. ^ a b c 北原保雄ほか 著「立憲君主制」、久保田淳ほか 編『日本国語大辞典』JapanKnowledge、2016年。 
  3. ^ a b c 有斐閣 著「立憲君主制」、法令用語研究会 編『法律用語辞典(第4版)』JapanKnowledge、2016年。 
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m 田中 2022, p. 「立憲君主制」.
  5. ^ 茶谷 2012, p. 45.
  6. ^ 茶谷 2012, pp. 44–45.
  7. ^ 樹神 2018, p. 48.
  8. ^ a b c d フランク・B・ギブニー編 『ブリタニカ国際大百科事典:小項目事典』、ティビーエス・ブリタニカ、2016年。
  9. ^ 家永三郎 著「君主制」、小学生 館 編『日本大百科全書(ニッポニカ)』JapanKnowledge、2016年。 
  10. ^ 松村明編 『デジタル大辞泉』 小学館、2016年、「君主」の項。「くん‐しゅ【君主】世襲により国家を治める最高位の人。天子。王。皇帝。帝王。」
  11. ^ 松村明編 『大辞林 第三版』 三省堂、2016年、「君主」の項。「くんしゅ【君主】世襲的に国家を代表し,統帥する最高の地位にある人。帝王。天子。皇帝。きみ。」
  12. ^ 畑安次 著「君主主権」、小学館 編『日本大百科全書(ニッポニカ)』JapanKnowledge、2016年。 
  13. ^ a b c d e f g h i j k l m 田中浩 (政治学者) 著「立憲君主制」、小学館 編『日本大百科全書(ニッポニカ)』JapanKnowledge、2016年。 
  14. ^ 『君主制の比較憲法学的研究』、56頁以下
  15. ^ バジョット『イギリス憲政論』中公クラシックス、11月10日 2011、92頁。 
  16. ^ 竹田, p. 91.
  17. ^ 竹田, p. 202.
  18. ^ 竹田, pp. 203–208.
  19. ^ 竹田, pp. 212–215.
  20. ^ マッカーサー三原則”. 2020年6月27日閲覧。
  21. ^ GHQ草案”. 2019年9月4日閲覧。
  22. ^ マッカーサー三原則 原文”. 2020年6月27日閲覧。
  23. ^ Richard A. Poole”. 2019年9月4日閲覧。
  24. ^ a b c 第147回国会 参議院 憲法調査会 第7号 平成12年5月2日”. 2020年6月27日閲覧。
  25. ^ 第71回国会 参議院 内閣委員会 第16号 昭和48年6月28日”. 2020年6月27日閲覧。
  26. ^ 清宮 1979, p. 184.
  27. ^ a b c d e f 清宮 1979, p. 185.
  28. ^ 佐藤 2001, p. 35.
  29. ^ 佐藤 2001, p. 36.
  30. ^ 佐藤 2001, pp. 36–37.
  31. ^ 佐藤 2001, p. 37.
  32. ^ 平成12年「改革者」5月号 2000年 p10-11
  33. ^ 安田浩 2016, p. 「天皇制」.
  34. ^ 家永三郎 2015, p. 「天皇」.
  35. ^ 下條芳明『象徴君主制憲法の20世紀的展開 - 日本とスウェーデンとの比較研究』(東信堂、2005年)
  36. ^ a b Japan - The World Factbook”. www.cia.gov. 2021年8月2日閲覧。
  37. ^ a b c 小林章夫 『女王、エリザベスの治世 先進国の王政記』 角川oneテーマ21 2012年5月 P3以下



立憲君主

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ペドロ1世 (ブラジル皇帝)」の記事における「立憲君主」の解説

9月7日過ぎてジョアン6世いまだに独立したブラジル王国正当な統治者として承認されていなかった。ブラジル独立運動は王に対してではなく、単にコルテスによる支配体制みなされていた。摂政王子は王ではなく皇帝としてブラジル帝冠受諾するように説得されていた。しかしペドロははっきりとせず、父王がブラジル戻ってくればブラジル王座手放すつもりでいた。 24歳誕生日に彼はドン・ペドロ1世とされ、同日10月12日ブラジル帝国建国された。彼は12月1日戴冠した彼の優位はすぐにブラジル全域広まったわけではなかった。彼は北部北東南部地域いくつかの州を恭順させなければならなかった。そしてポルトガル最後の抵抗部隊降伏したのは1824年であったその間ペドロ1世ボニファシオの関係は悪化した皇帝は彼をいったんは助言者とみなしたが、 ボニファシオ役割新参者卑屈地位である学校長にしたことで摩擦がおきた。ペドロ1世不適切な行為を理由ボニファシオとその兄マルティン・フランシスコ・デ・アンドラダ(英語版)を官職から遠ざけたとき状況最悪になった。権威主義者で権力乱用をも辞さないボニファシオはその地位を、政敵苦しめ起訴し逮捕し追放することにさえ利用してきた。数か月間、ボニファシオ政敵は、皇帝味方につけよう画策した。ペドロ1世がまだ摂政王子だった1822年5月13日に、彼らはペドロに「ブラジル永遠守護者」の称号与えた8月2日に彼らはペドロ1世フリーメイソン入会させ、10月7日ボニファシオのものだった「大親方」(グランドマスター)の地位ペドロ1世与えた皇帝とかつての大臣との間の危機はすぐに、憲法起草するために選ばれ制憲立法議会飛び火した制憲立法議会議員でもあったボニファシオは、ブラジル利益対すポルトガルによる大きな陰謀存在主張しポルトガル生まれペドロ1世加担しているとほのめかす大衆扇動訴えたポルトガル生まれ市民忠誠心対す侮蔑と、彼自身ブラジルへの忠誠葛藤があるという暗示皇帝激怒した1832年11月12日ペドロ1世制憲立法議会解散命令し新し議員召集した翌日、彼は土着の憲法の起草を担う枢密院設置した草案写しすべての都市議会送られ大多数賛成投票し帝国憲法はすぐに採用された。1824年3月25日憲法公布され厳粛に宣誓された。憲法によって建国された高度に中央集権的な国家結果としてセアラー州, パライバ州ペルナンブコ州での反乱者はブラジルからの脱退企み、後に赤道連邦として知られるものに連合したペドロ1世反乱軍なだめるための申し出によって流血避けようとしたが失敗した怒ってペドロ1世言った。「ペルナンブコからの侮辱何が必要だったのか?必ずや罰を与える、先例として将来資するような罰をだ!」反乱はその地域掌握することはできずに容易に鎮圧された。1824年終わりまでに反乱終息した。16人の反乱者が裁判かけられ処刑されたが、 その他の反乱者は皇帝によって赦免された。

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