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穴見和正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2008/02/28 01:10 UTC 版)

穴見 和正(あなみ かずまさ、1954年6月25日 - )は、日本のオートレース選手福岡県出身。12期、山陽オートレース場所属。

目次

略歴

  • 1985年
    • 3月6日、第17回山陽王座決定戦(山陽オートレース場)優勝。当時の競走車呼名は『ニコル』。競走タイムは3.45。
  • 1987年
  • 1988年
    • 3月8日、第20回山陽王座決定戦優勝。競走タイムは3.83。
  • 1992年
    • 7月15日、第16回キューポラ杯杯争奪戦(川口オートレース場)優勝。当時の競走車呼名は「カールヘルム」。競走タイムは3.388。
    • 9月23日、第25回選抜地区対抗戦(山陽オートレース場)優勝。競走タイムは3.400。
  • 2005年
    • 4月13日、GI第11回平成チャンピオンカップ(山陽オートレース場)優勝。競走車呼名は「プラダ1」。競走タイムは3.386。


『内線のガードマン』

穴見は山陽オートレース場所属のベテラン選手。全国でも屈指の雨巧者として知られている。タイトルの数こそ少ないものの、勝利数は多く、ファンの信頼も厚い。

穴見の最大の特徴は、極端なまでにインコースを走るその独特の走法である。通常、直線距離の短いオートレースでは、直線は少しアウトコースを走ってスピードを乗せ、減速しつつコーナーに入るのが基本である。
しかし、穴見はその直線にあってもインコースを走る。上半身を左に傾け、車を押さえつけるように走るそのフォームは穴見以外には見られないものである。

穴見がこうした走法を使うようになったのにはある理由がある。デビュー間もない3級車時代、穴見はアウトコースを使っていた。これは何も穴見に限ったことではなく、非力な3級車ではアウトを使わなければ勝負にならなかったからである。
しかし、あるレースで穴見の内側を走っていた選手が落車し、それに巻き込まれる形で落車したことが、穴見にとっての転機となった。
「自分のミスで落車するならまだしも、他人に巻き込まれて落車したくはない」。そう考えた穴見は苦心の末、現在の唯一の走法を編み出したのである。

現行の競走車エンジンセアでもその走りは健在だが、それ以前のメグロ二気筒フジ時代は今よりも更にインコースを走っていた。これは、セアのエンジン性質に合わせ、若干アウトコースを走るようにしたからである。しかし、それも他の選手からすればかなりインコースを走っていると言える。

既にベテランの域に入った穴見だが、持ち前のスタートで先行し、一度抑えにかかれば、容易にインコースを捌かれることはない。
穴見のインコースを容易に捌けたのは全盛期の飯塚将光(9期、船橋オートレース場所属)や島田信廣(11期、故人)、片平巧(19期、船橋オートレース場所属)、高橋貢(22期、伊勢崎オートレース場所属)などといった絶対的なエースぐらいのもので、下手に若手がインから捌こうとしても、行き場を失い、ともすれば落車してしまう。
この鉄壁の守りから、「内線のガードマン」「穴見シャッター」などの異名で呼ばれることが多い。

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