穴山信懸とは? わかりやすく解説

穴山信懸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/25 03:33 UTC 版)

穴山 信懸(あなやま のぶとお)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将


注釈

  1. ^ 生年は嘉吉2年から宝徳2年間に想定されている(秋山 2009)
  2. ^ 天輪寺殿、官途名は兵部少輔あるいは形部少輔。
  3. ^ 信懸の母については系図類には記されないが、信懸は山梨市矢坪の永昌院で行われた理関大師13回忌の施主となっていることから(『菊潭集』)、実母であると考えられている。なお、信介には嘉吉元年(1441年)に死去した前室と考えられている松岳寿貞大師がおり、応永33年(1426年)に夭折した嫡男乙若丸がいる。
  4. ^ 永正10年に信懸を暗殺した清五郎については『勝山記』記事のみに名が見られ、各種武田氏系図類には一切名が記載されていないが、『平塩寺過去帳』には穴山清五郎に比定される可能性のある「清五郎」の名が記載されている。

出典

  1. ^ (高野山過去帳類、『菊潭録』、今川本『太平記』奥書などに拠る)
  2. ^ 高野山成慶院『武田御位牌帳』(『山梨県史』資料編6下所載)『武田家過去帳』(『山資』6下所載)
  3. ^ 今川本「太平記奥書『山梨県史』資料編6下(県外記録)所載
  4. ^ 「鏡心日記」『県資』6下所載
  5. ^ 今川本「太平記」奥書
  6. ^ a b 「王代記」『県資』6上(県内記録)
  7. ^ 「日国記」塩山向嶽庵小年代記」『県資』6上所載、「日国記」は『勝山記』の異本。
  8. ^ 高白斎記」『県資』6上所載
  9. ^ 「勝山記」に拠る。なお、信懸三回忌の際の香語を記した『菊潭録』では事件を5月21日であったとしている。


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