福留功男
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福留 功男(ふくとめ のりお[1][2][注 1]、1942年(昭和17年)1月28日 - )は、日本の男性フリーアナウンサー、タレント、総合司会者、ニュースキャスター、エグゼクティブ・プロデューサー。元日本テレビ エグゼクティブアナウンサー。
注釈
- ^ 正式には「フクドメ」であり「フクトメ」ではないが、いつしか濁らない読み方が周囲で定着したという。
- ^ ウルトラクイズ参加規程では高校生は参加できなかった。
- ^ 最高視聴率は1996年6月に記録した22.8%である。
- ^ 福留はこのことを語る際に「お前、CM30秒でいくらか知ってるか?4000万だぞ。その30秒でお前が無駄な喋りしてみろ、(その4000万円分の時間は)どうなるんだよ」という言われ方をした、というエピソードを多用している。
- ^ 24時間テレビ41より。当番組内で佐藤は2010年代以降にみられるリポートスタイルについて「紙をもってリポートするなんてとんでもない。そんなもんはお客さん(視聴者)の胸には届かない」と苦言を呈している。
- ^ 「ブロードキャスター」はTBS出身の三雲孝江と嶌信彦をメイン司会とし、TBSと古くから関係の深いホリプロ所属の山瀬まみをサブ司会に迎えることが決まっていた。
- ^ 当時の日本テレビの取締役には創業家出身の小林與三次会長及び正力亨取締役も含まれていた。
- ^ 但し、1991年の4月から9月までの半年間はTBSの「仰天!くらべるトラベル」に司会者として出演していた。
- ^ 最末期の「ブロードキャスター」で福留とともに司会を務めていた久保純子は福留の日テレ時代の元同僚だった久保晴生の長女で、福留とも面識があった。
- ^ 過去に『アメリカ横断ウルトラクイズ』で成田→グアム間で機内ペーパークイズを全日空機で実施した縁で登場。実際はグアムのパーティーの司会を行い、じゃんけん大会をして、勝利者にはANA国際線のチケットがプレゼントされるものだった。
- ^ 王は福岡ダイエーホークス監督就任が決定直後に「ズームイン」にゲスト出演して、マイスタ前でのオープニングで福留と一緒にズームインポーズも披露している。
出典
- ^ ア.エムティプロデュース
- ^ 国際協力機構
- ^ a b 『葬らん!』14ページ
- ^ 『葬らん!』17-18ページ
- ^ 『葬らん!』45ページ
- ^ a b 『葬らん!』59-62ページ
- ^ 『葬らん!』68-70ページ
- ^ 『ウルトラクイズ伝説』p.42
- ^ 『ウルトラクイズ伝説』p.58
- ^ “第23回ギャラクシー賞受賞作品”. 放送批評懇談会. 2021年7月16日閲覧。
- ^ 『葬らん!』82-84ページ
- ^ 『葬らん!』136ページ
- ^ http://www.zakzak.co.jp/people/news/20131017/peo1310170741000-n1.htm
- ^ 月刊エアライン 2011年5月号 P86-P87
- ^ 『葬らん!』11ページ
- ^ a b 『葬らん!』20ページ
- ^ 『葬らん!』140ページ
- ^ 『QUIZ JAPAN vol.1』(セブンデイズウォー)47ページ
- ^ 『葬らん!』49-51ページ
- ^ 『葬らん!』57ページ
- ^ 『葬らん!』30ページ
- ^ 『葬らん!』26ページ
- ^ 『葬らん!』41ページ
- ^ 『葬らん!』150-151ページ。
- ^ 『葬らん!』143-144ページ
- ^ 『ウルトラクイズ伝説』186-224ページ
- ^ “徳光和夫、福留功男に憎まれ口「とくだん好きではない」”. ORICON STYLE (2014年12月15日). 2016年12月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g 福留功男 - オリコンTV出演情報
- ^ “美味しんぼ: 作品情報”. アニメハック. 2023年5月26日閲覧。
- 1 福留功男とは
- 2 福留功男の概要
- 3 人物・エピソード
- 4 出演番組
- 5 CM
福留功男
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:10 UTC 版)
元日本テレビアナウンサー。2008年9月まで裏番組だった『いつみても波瀾万丈』(日本テレビ系列)の司会者だったが、番組終了後の2008年10月12日に「元・裏番組司会者」の肩書きで出演。
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