福田良とは? わかりやすく解説

福田良

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/14 08:26 UTC 版)

福田 良(ふくだ りょう、1979年6月26日 - )は、日本のレーシングドライバー福岡県福岡市出身。2001年のフランスF3選手権チャンピオン。

沖学園高等学校卒業[1]

経歴

日本人の父と、ハーフであるアメリカ人の母の次男として生まれる[2]

1991年にカートレースデビュー。1996年に単身フランスに渡り、フランスの石油会社エルフの主催するレーシングスクール「エルフ・ラ・ラフィリエール」に入学。以後フランスを拠点にレース活動を行う。

1999年にはフランスF3にステップアップ。2000年には、5月7日の第4戦マニクールでポール・トゥー・ウィンを達成。海外F3では1991年のイギリスF3野田英樹以来2人目、フランスF3では史上初となる日本人ウィナーであった[3]。シーズン中盤までランキングトップに立つが、所属チームの体制混乱に巻き込まれ、シーズン途中でチームの移籍を余儀なくされたことが影響し、チャンピオンを逃す。3年目となる2001年に、日本人初のシリーズチャンピオンを獲得。この年はイギリスF3で佐藤琢磨、ドイツF3で金石年弘がそれぞれシリーズチャンピオンを獲得しており、ヨーロッパの主要F3選手権のうちイタリアを除く3つで日本人がチャンピオンを獲得したことが話題を呼んだ。2001年末にはB.A.Rホンダとテストドライバー契約を結ぶ。

しかし、B.A.Rとの契約直後に、福田をテストドライバーに採用したチームマネージャーのクレイグ・ポロックがチームを解雇され、福田はチームにおける後ろ盾を失った。そのため2002年シーズンは、序盤以降テストでもF1マシンをドライブする機会が殆ど与えられず、福田はチームのプロモーション活動に参加するだけであった。

2003年には日本に帰国し、フォーミュラ・ニッポンTEAM 5ZIGENより参戦するが、第5戦を終了したところで突然シートを失った[4]。同年ル・マン24時間レース近藤真彦率いるKONDO Racingから出場し、13位完走。

2004年はフランスのポール・ベルモンド・レーシングと契約し、ワールドシリーズ・バイ・ニッサン(WSN)の開幕戦に出場するが、第2戦以降は欠場。ル・マン24時間レースでは前年に引き続きKONDO Racingから出場するがマシントラブルでリタイアに終わる。この不遇の2年間を福田は自身の公式ウェブサイトにて「レースをやめようと思った」と述懐している。

2005年、フォーミュラ・ルノー3.5へフル参戦し、本格的なレース参戦を再開。同年より始まった2005-2006 A1グランプリに日本チームとして初戦のイギリス戦に参戦した(スプリントレース12位、フィーチャーレース8位。チーム総合21位)。2006年はフォーミュラ・ルノー3.5に参戦。しかし2007年以降はドライバーとしての活動を行っておらず、公式サイトも閉鎖されるなど、事実上レーシングドライバーとしては引退状態となった。

2008年に結婚、子供の誕生により一時育児に専念する。一部メディアでは「板前に転職した」との情報も流れたが[5]、2010年にレーシングドライバーのマネジメント業を中心にレース現場に復帰。2012年には野田英樹栃木県茂木町に開校する「NODAレーシングアカデミー高等学院」の講師に就任した[6](2014年現在は退任している)。

2014年5月、オートポリスにて同年のSUPER GT・第3戦と併催で行われた「GTアジアシリーズ」に参戦し、8年ぶりにレースに復帰[7][8]。シリーズフル参戦すると発表された。

レース戦績

ル・マン24時間レース

チーム コ・ドライバー クラス 周回 総合順位 クラス順位
2002年 オート パレス ギヨーム・ゴメス
ローレン・カズナーヴ
フェラーリ・360モデナ GT GT 119 DNF DNF
2003年 KONDO Racing 近藤真彦
片山右京
童夢・S101-無限 LMP900 322 13位 8位
2004年 加藤寛規
道上龍
LMP1 206 DNF DNF

フォーミュラ・ニッポン

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
2003年 TEAM 5ZIGEN SUZ
7
FSW
Ret
MIN
6
TRM
Ret
SUZ
13
SUG FSW MIN TRM SUZ 14位 1

人物・エピソード

  • モータースポーツの出会いは、クルマ好きの父に連れられ、兄と一緒にポケバイを始めた事から。その後はカートに転向するも、当初は野球に夢中でカートに興味を持っていなかったという。学校以外は福岡カートランドで走り込みをし、一番近いライバルである兄のタイムを破る頃から、カートの楽しさを知った[2]
  • 極度の人見知りを隠すための態度が、時に佐藤琢磨らとの比較で周囲に誤解を与えてしまう一面がある[2]
  • 人と話すのは好きだが、ステージの前に立って人前で喋るのは大の苦手としているが、ただ喋り始めたらキリがなくなるタイプとも語っている[9]
  • 1998年のクリスマス・イブに、母校である沖学園高校から「体育館に200名くらいの学生が集まる中で自分だけの卒業式を開いてもらった」事が今までで最高のクリスマスプレゼントだったと語っている[1]

脚注

  1. ^ a b オートスポーツ1999年2/15号 74〜75頁「RYO BRAVO!Ryo Fukuda Racing Diary vol.05」より
  2. ^ a b c 週刊オートスポーツNO.860 2002年3/21号 54頁
  3. ^ オートスポーツNO.797 2000年6/1号 40頁NEWS FILE記事より。
  4. ^ 一説にはスポンサー関連のトラブルが原因と言われているが真相は不明。
  5. ^ 『F1 STINGER』(ネコ・パブリッシング)Vol.2 p.55
  6. ^ 講師紹介 - NODAレーシングアカデミー高等学院
  7. ^ 今週末のSGT第3戦はGTアジアも開催。福田良も参戦 - オートスポーツ・2014年5月29日
  8. ^ 福田、8年ぶりレースも順応力光る - 東京中日スポーツ・2014年5月30日
  9. ^ 週刊オートスポーツNO.858 2002年3/7号 46頁 Ryo Fukuda Private Diary/福田良の頑張るばいっ!




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