小山氏城跡とは? わかりやすく解説

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小山氏城跡
鷲城跡
祇園城跡
中久喜城跡

名称: 小山氏城跡
 鷲城跡
 祇園城跡
 中久喜城跡
ふりがな おやまししろあと 
 わしじょうあと ぎおんじょうあと なかくきじょうあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 栃木県
市区町村 小山市大字外城大字神鳥谷城山町本郷町大字中久喜・字辰巳
管理団体
指定年月日 1991.03.12(平成3.03.12)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日 平成18.01.26
解説文: H6-6-41中久喜城跡※1.txt: 小山氏鎌倉期以来下野守護であり、中世における下野最大豪族である。〓(*1)園城跡鷲城跡はこの小山氏主要な居城跡として、また康暦2年(1380)から永徳2年(1383)にかけての小山義政の乱における合戦の場として、平成3年史跡指定なされている。
 中久喜城江川右岸台地上にあり、小山氏結城方面への備えの城である。小山義政の乱において小山方の拠点となったとして史料にみえる鷲城岩壺城、新々城、〓(*1)園城、宿城の5つの城のうち、岩壺城に該当する考えられる岩壺地名そのもの残らない本丸その上で飛べば響くという岩もある。城跡JR水戸線分断されてはいるが、台地先端、城の内とよばれる地におよそ100メートル×120メートル主郭構え土塁めぐらし、さらにその北方西城にも台地先端土塁構えている。その東に万年寺の跡があり、万年寺くるわとよばれている。〓(*1)園城にも同じ名の万年寺があり、小山高朝菩提寺である。万年寺はある時期中久喜城から〓(*1)園城に移動した考えられる
 なお、「結城御代記」(嘉永5年(1852)の成立によれば天正18年(1590)、小山高朝の子で、結城政勝養子となった晴朝が「中井城」に移った記されている。
 このように中久喜城小山氏の城として重要な城であり、〓(*1)園城とも鷲城とも密接な関連をもつ城である。
 また平成3年指定され2つの城のうち〓(*1)園城跡の上の東、南久保ぐるわの土塁一部また、鷲城跡本丸一部が未指定であった
 よって〓(*1)園城跡鷲城跡一部追加指定するとともに、小山氏城跡に中久喜城跡追加指定して、その保存を図るとともに史跡指定名称を変更する
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