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ぎおん-なんかい ぎをん― 【祇園南海】
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祇園南海
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/07 08:19 UTC 版)
祇園 南海(ぎおん なんかい、延宝4年(1676年)- 宝暦元年9月8日(1751年10月26日、生年について延宝5年(1677年)の説あり))は、江戸時代中期の日本の儒学者、漢詩人、文人画家。服部南郭、柳沢淇園、彭城百川とともに日本文人画の祖とされる。また、紀州藩に仕え、野呂介石、桑山玉州とともに紀州三大南画家と呼ばれている。
名を与一郎、正卿、瑜とし、字は白玉、号は南海のほか、蓬莢、鉄冠道人、箕踞人、湘雲、信天翁、観雷亭など。通称は余一と呼ばれた。本姓が源であることから、中国風に修して源瑜、阮瑜と称した。
- ^ (大槻、2001年)では享保4年(1719年)、44歳の時の墨竹図が最初の作とされているが、ここでは(筑波大学日本美術シソーラスデータベース)に従う。
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