住友大阪セメント
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住友大阪セメント株式会社(すみともおおさかセメント)は、日本のセメントメーカーである。日経平均株価の構成銘柄の一つ[1]。
- ^ 構成銘柄一覧:日経平均株価 Nikkei Inc. 2021年10月8日閲覧。
- ^ 会社概要 - 滋賀鉱産
- ^ “日経平均、ソシオネクストなど3銘柄採用 定期見直し”. 日本経済新聞 (2024年3月4日). 2024年3月5日閲覧。
- ^ “「住友大阪セメント」の代理店66社 | メトリー”. metoree.com. 2022年8月10日閲覧。
- 1 住友大阪セメントとは
- 2 住友大阪セメントの概要
- 3 グループ企業
磐城セメント(住友セメント)
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「住友大阪セメント」の記事における「磐城セメント(住友セメント)」の解説
1907年(明治40年)11月29日 - 磐城セメント株式会社設立。 1908年(明治41年)9月 - 四倉工業所を新設。 1925年(大正14年)7月 - 日出セメント株式会社を合併、同社湊工場を湊工業所とする。 1926年(大正15年)7月 - 鈴木セメント株式会社を合併、同社工場を東京工業所とする。 1928年(昭和3年)2月 - 東京工業所操業休止。 1939年(昭和14年)2月 - 東京工業所閉鎖、設備は台湾へ売却。 1940年(昭和15年)12月 - 富国セメント株式会社を合併、葛生工場を継承。 1941年(昭和16年)1月 - 湊工業所を八戸工場、四倉工業所を四倉工場、葛生工場を栃木工場に改称。 11月 - 七尾セメント株式会社を合併、同社七尾工場を継承。敦賀セメント株式会社を合併、同社敦賀工場を継承。豊国セメント株式会社を合併、同社門司工場を苅田工場とする。 1943年(昭和18年)9月 - 常陸セメント株式会社を合併、同社日立工場を継承。 1947年(昭和22年)10月 - 常陸工場を常陸セメント株式会社として再分離。 1948年(昭和23年)2月 - 敦賀工場を敦賀セメント株式会社として再分離。 3月 - 苅田工場を豊国セメント株式会社として再分離。 1949年(昭和24年)5月 - 東証一部に上場。 1950年(昭和25年)11月 - 東洋セメント株式会社を合併、同社小倉工場を継承。 1954年(昭和29年)7月 - 浜松工場新設。 1960年(昭和35年)3月 - 川崎セメント株式会社を合併、同社大垣工場を岐阜工場とする。 1963年(昭和38年)5月28日 -福島セメント株式会社並びに住友石灰工業株式会社を合併。 1963年(昭和38年)6月 - 田村工場操業開始。 10月1日 - 住友セメント株式会社に社名変更。 1964年(昭和39年)4月1日 - 本店を栃木県安蘇郡葛生町より東京都台東区に移す。 1966年(昭和41年)6月 - 滋賀興産株式会社を合併、同社彦根工場および多賀工場を継承。 9月 - 赤穂工場新設。 1975年(昭和50年)7月 - 七尾工場・多賀工場閉鎖。 12月 - 赤穂工場を赤穂第一工場に改称。 1976年(昭和51年)2月 - 赤穂第二工場操業開始。 8月 - 小倉工場を東洋セメント株式会社として再分離。 1977年(昭和52年)8月 - 八戸セメント株式会社を設立。 9月 - 八戸工場を八戸セメントへ譲渡。 1983年(昭和58年)3月 - 四倉工場操業休止。 1984年(昭和59年)8月 - 浜松工場操業休止。 9月 - 特定産業構造改善臨時措置法に基づき、住友セメント株式会社、麻生セメント株式会社、電気化学工業株式会社、日鐵セメント株式会社、八戸セメント株式会社、東洋セメント株式会社および苅田セメント株式会社とともにアンデスセメント共同事業株式会社を設立。 11月 - 浜松工場閉鎖。 1986年(昭和61年)9月 - 四倉工場閉鎖。 1987年(昭和62年)4月 - 赤穂第一工場と赤穂第二工場を統合し、赤穂工場発足。 1994年(平成6年)5月 - アンデスセメント共同事業が解散。
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