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石橋山の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/07 06:04 UTC 版)
(石橋山合戦 から転送)
石橋山の戦い(いしばしやまのたたかい)は、平安時代末期の治承4年(1180年)に源頼朝と大庭景親ら平氏方との間で行われた戦いである。治承・寿永の乱と呼ばれる諸戦役のひとつ。
源頼朝は以仁王の令旨を奉じて挙兵。伊豆国目代山木兼隆を襲撃して殺害するが、続く石橋山の戦いで大敗を喫した。敗走した頼朝は山中に逃げ込み、船で安房国へ落ち延びてこの地で再挙することになる。
- ^ 『吾妻鏡』
- ^ 頼朝は水干に着替え、男山八幡に遥拝した後に謹んで令旨を拝読したという
- ^ 川合康『日本の中世3 源平の内乱と公武政権』(吉川弘文館)
- ^ 実は命を狙われていたのは源頼政の孫の源有綱であって頼朝が狙われていたのは誤報だったという説がある。永井晋『鎌倉源氏三代記ー一門重臣と源家将軍』(吉川弘文館)
- ^ 元木泰雄『河内源氏』(中公新書)
- ^ 元木泰雄『河内源氏』(中公新書)
- ^ さらに『吾妻鏡』によると兼隆は頼朝と「私の意趣」があったという。『曾我物語』などに頼朝と恋仲だった政子が兼隆に嫁がされそうになり、勝気な政子は頼朝のもとへ逃げ出して、以来、頼朝と兼隆は敵同士になったという話がある。ただしこの話は虚構の可能性も高い詳細は山木兼隆
- ^ なお、この頼朝の挙兵は本来は自らに近い頼政系の源氏が伊豆からいなくなってしまったため工藤茂光が急遽頼朝を代理の旗頭に仕立て上げたとの説もある。永井晋『鎌倉源氏三代記ー一門重臣と源家将軍』(吉川弘文館)
- ^ 川合康『日本の中世3 源平の内乱と公武政権』(吉川弘文館)
- 1 石橋山の戦いとは
- 2 石橋山の戦いの概要
- 3 石橋山の戦い
- 4 由比ヶ浜の戦い
- 5 関連項目
石橋山合戦に関連した本
- 石橋山合戦前後―源頼朝と郷土の武士 (1976年) (小田原文庫〈3〉) 中野 敬次郎 名著出版
- 石橋山合戦前後―源頼朝と郷土の武士 (1982年) (小田原文庫〈3〉) 中野 敬次郎 名著出版