矢内原忠雄とは? わかりやすく解説

やないはら‐ただお〔‐ただを〕【矢内原忠雄】


矢内原忠雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/14 15:41 UTC 版)

矢内原 忠雄(やないはら ただお、1893年明治26年〉1月27日 - 1961年昭和36年〉12月25日)は、日本経済学者植民政策学者東京大学総長。日本学士院会員。正三位勲一等瑞宝章無教会主義キリスト教の指導者としても知られる。長男は哲学者法政大学名誉教授の矢内原伊作、三男は経済学者慶應義塾大学名誉教授の矢内原勝


注釈

  1. ^ アブラハムの子イサクで、ヘブライ語で「笑う」と言う意味。
  2. ^ これは真理の敵ファシズムに対する宣戦布告を意味した。[9]
  3. ^ この日は、御前会議で帝国国策遂行要領が決定された。つまり、12月初旬に米英欄に対しての開戦を決意したのである。[10]

出典

  1. ^ データベース『えひめの記憶』|生涯学習情報提供システム
  2. ^ 鴨下重彦他 2011年 69ページ
  3. ^ 鴨下重彦他 2011年 20ページ
  4. ^ 東京帝国大学一覧 從大正9年至大正10年』東京帝国大学、1921年、616頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940171/317 
  5. ^ 鴨下重彦他 2011年 21ページ
  6. ^ 矢内原忠雄 (1937). “神の国”. 通信 47号. (矢内原忠雄『国家の理想―戦時評論集』岩波書店、1982年、に収録)
  7. ^ 東京帝国大学一覧 昭和13年度』東京帝国大学、1938年、371頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1446288/193 
  8. ^ 執筆論文が問題化、東大教授を辞任『東京朝日新聞』1937年(昭和12年)12月2日夕刊.『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p729 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  9. ^ a b 鴨下重彦他 2011年 31ページ
  10. ^ 鴨下重彦他 2011年 35-36ページ
  11. ^ 鴨下重彦他 2011年 38ページ
  12. ^ 第13回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第28号 昭和27年6月14日
  13. ^ 鴨下重彦他 2011年 60-61ページ。なお、講演「人生の選択」と「内村鑑三とシュヴァイツァー」は『人生の選択 矢内原忠雄の生涯』 大学セミナー・ハウス 1963に収録
  14. ^ 鴨下重彦他 2011年 74ページ
  15. ^ 『朝日新聞』 1961年12月25日付夕刊7面
  16. ^ 沖縄資料ガイドブック”. 琉球大学附属図書館. p. 30. 2021年9月18日閲覧。


「矢内原忠雄」の続きの解説一覧



矢内原忠雄と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「矢内原忠雄」の関連用語

矢内原忠雄のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



矢内原忠雄のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
中経出版中経出版
Copyright (C) 2024 Chukei Publishing Company. All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの矢内原忠雄 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS