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百十銀行 (ひゃくじゅうぎんこう)

百十銀行は、国立銀行として設立されました。初代頭取とうどり]には、右田毛利[みぎたもうり]氏の当主であった毛利藤内[もうりとうない]が就任しました。 三田尻支店1878年明治11年)に営業開始しました。1944年昭和19年)に、華浦銀行[かほぎんこう]ほか4つの銀行合併して、新たに山口銀行として発足し、現在にいたっています。

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第百十国立銀行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/03/23 09:04 UTC 版)

(百十銀行 から転送)

第百十国立銀行(だいひゃくじゅうこくりつぎんこう)は、かつて山口県にあった国立銀行


  1. ^ 1944年の山口銀行設立に至るまで、県内諸銀行との合併が繰り返されたが、合併の種類は吸収合併にとどまらず、形式上は対等合併をとった場合も少なからず含んでいる。そのため、厳密には「山口銀行の前身(母体)の一つ」と表記するのが正確であるが、山口銀行の各種公刊物には、第百十国立銀行創業時をもって山口銀行創業とし、「第百十国立銀行は山口銀行の前身」と明確に位置づけている。また、合併各行の中でも百十銀行の沿革がもっとも長いこと(百十銀行の名が継承され続けたこと)、各合併時において資本金など経営規模が百十銀行が突出していたことなどを踏まえ、便宜上このような表記にしている。
  2. ^ 日本銀行西部支店の初代支店長は高橋是清1898年(明治31年)12月に日銀西部支店の門司移転に伴い、百十銀行は同地を買い戻して再び同行の本店とした。日銀の門司移転以降しばらくは山口県内支店不在の状態が続いたが、1947年(昭和22年)に日銀はふたたび下関に支店を設けた。1973年から1975年までの間は、日銀下関支店の現店舗新築のため、仮店舗を山口銀行旧本店(現別館)に置いた。
  3. ^ 百十銀行にとっては都合の良い事に当時の下関支店の預金600万円の内100万円を引継ぎを受ける事ができた。営業譲渡時の三井銀行下関支店長は井上馨の甥 (兄・光遠の三男) である森祐三郎。
  4. ^ 長野宇平治による設計で、1920年建築。山口銀行本店、同観音崎支店、日本銀行下関支店(仮店舗)を経て、現在は山口銀行別館。2005年に山口県指定有形文化財に指定。


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