大口筋
白銀坂
龍門司坂
名称: | 大口筋 白銀坂 龍門司坂 |
ふりがな: | おおくちしじ しらかねざか たつもんじざか |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 鹿児島県 |
市区町村: | 鹿児島市、姶良郡姶良町・加治木町 |
管理団体: | |
指定年月日: | 2006.07.28(平成18.07.28) |
指定基準: | 史6 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | 大口筋は、江戸期の薩摩藩の主要街道の一つで、もともと小倉筋(西目筋)と東目筋に分けられていたのが、寛永年間(1624~44)に名称が改められ、小倉筋は出水筋・大口筋に、東目筋は高岡筋(日向筋)となった。大口筋は、鹿児島城下から吉田・姶良・加治木・溝辺・横川・栗野・菱刈を経て大口に至る道である。途中の山道には石畳が敷かれ整備された。白銀坂は、鹿児島市と姶良町にある峠で険しい山道で街道一の難所であった。かっては、薩摩と大隅との国境に位置しており、重要な街道としての面影をよく留め、急坂部に約1.5kmにわたり山中から調達した安山岩質の割石を用いた石畳が残っている。龍門司坂は、加治木町に所在し、寛永12年(1635)に完成し、幅6~7mの広い道である。元文6年 (1741)に石敷に整備された。白銀坂は平成9年度から整備事業を実施されている。このように薩摩藩の主要街道である大口筋のうち、保存状態が良好な白銀坂分約2.8kmと龍門司坂約500mは、我が国の近世の交通を考える上で貴重である。 |
白銀坂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/07 14:10 UTC 版)
白銀坂(しらかねざか)は、鹿児島県姶良市脇元から鹿児島県鹿児島市牟礼岡まで伸びる石畳の坂道(旧街道)[1]。2006年(平成18年)7月28日に加治木町の龍門司坂とともに国史跡に指定された[1]。
歴史
坂のある山並みは古代から近世における薩摩国と大隅国の国境であり、戦国時代には島津貴久や島津義弘といった武将たちがこの坂に陣を構えていた[1]。
江戸時代に入ると、白銀坂は薩摩藩によって主要街道「大口筋(薩摩街道)」の一部として整備されたが、特に白銀坂は藩内随一の難所として知られた[1]。
明治6年(1873年)には現在の国道10号の基礎となる重富村(姶良町重富)から竜ヶ水地区経由で鹿児島市へ至る鹿児島湾(錦江湾)沿いのルートが開通し、さらに明治34年(1901年)、鹿児島駅 - 国分駅(現:隼人駅)間の鉄道開通によって白銀坂はその幹線としての人々の利用も少なくなり次第に忘れ去られ、長年の風水害により石畳も大変傷んでいた。
史跡としての整備
姶良町教育委員会は、歴史的に貴重なこの坂を保存しながら、歴史を追体験できる場所として活用できるようにと「歴史の道整備活用推進事業」を実施し、建設省(現:国土交通省)から平成7年(1995年)歴史上重要な幹線道路として利用された街道の中で、特に重要な歴史的・文化的価値をもつ道路として「歴史国道」に選定された。
2006年(平成18年)7月28日には国史跡に指定され、指定距離2,867mのうち約3分の2に石畳が残る[2]。
説明板が設置されているほか、第1休憩所、第2休憩所、第3休憩所があり、第2休憩所からは姶良市街地や霧島連山を眺望できる[1]。
脚注
固有名詞の分類
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