白色テロとは? わかりやすく解説

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はくしょく‐テロ【白色テロ】


白色テロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/03 08:20 UTC 版)

白色テロ(はくしょくテロ、: White Terror)とは、為政者や権力者、反革命側(君主制国家の為政者あるいは保守派)によって政治的敵対勢力に対して行われる弾圧や暴力的な直接行動のことである。国家組織および権力を是認して行われる不当逮捕言論統制などがある。フランス語(Terreur blanche)に由来するため白色テロルとも言う。

一般に国家の何らかの関与を前提とするため、単なる右翼テロとは異なる。

語義

「白色」とはフランス王国王権の象徴であった白百合に由来しており、フランスでは白色(白旗)は王権または王党派を意味する色であった。転じて、フランス以外でも治世者を全般をさす色とされ、イラン白色革命などの用法がある。白色テロは、元来はフランス革命中の1794年から1795年にかけて、シュアヌリ(ふくろう党)が行ったテロ行為、または極右に転向したテルミドール派による左派ジャコバン派または山岳派)への弾圧、あるいはフランス復古王政期の超王党派(ユルトラ)による国王弑逆者である共和派への報復や、ギヨーム=マリ=アンヌ・ブリューヌ元帥やラメル元議員の暗殺などを指して、形容した言葉であった。

転じて反革命側(右派)の革命側(左派)に対する、もしくは為政者(保守派)の反体制側(革新派)に対する弾圧を意味するようになったが、特に20世紀には 社会主義者共産主義者(およびその疑いがある人物)に対する厳しい弾圧を表すのにも用いられた。

定義

白色テロには強権的警察行為も含まれ、アルゼンチン汚い戦争のように非合法なまま秘密裏に行なわれるものが多いが、恣意的な法解釈によって合法とされて公然と行なわれることもあり、正規の治安維持活動との線引きは不明瞭である。植民地や一方的に領有を宣言し占領している実効支配地域での民族独立運動に対する警察権力の乱用、軍事介入等の弾圧も白色テロに含まれることがある。

共産主義・社会主義政権が関係する時の表現の揺れ

反体制派に対してテロを行った体制側が共産主義・社会主義政権の場合、これを赤色テロと呼ぶ者が居る。赤色(赤旗)は共産主義・社会主義を表す色だからである。しかしこのような考え方をする場合、共産主義・社会主義政権の時に反体制派(右派)がテロを行っても、それを白色テロとは言わないという。白色テロは、あくまでも政権側・体制側が行った場合のテロ表現であり、反体制左翼の行為も含める赤色テロと対照の定義とはなっていない。このような考え方は世界的に普遍ではなく、通信社の配信記事[1]では白色テロを共産党政権関係の記事にも使用する。

台湾

台湾においては、赤狩りと同義に考えられている[2]

1947年二・二八事件1949年四六事件が白色テロの前兆とみられている[2]。以降、1987年まで38年間続く戒厳令が敷かれ、東西冷戦下での反共政策を盾に、本格的な白色テロが展開された[2]

1949年の中華民国中央政府の台湾移転から1950年代中期までがピークとされるが、これは朝鮮戦争の時期とほぼ重なる[2]動員戡乱時期臨時条款懲治叛乱条例中国語版などが制定され、これらを根拠として、左派分子や共産スパイの摘発を名目とした弾圧が繰り広げられた[2]

1949年から1960年の間に反乱団体の摘発が100件、人数にして約2000人が処刑され、死刑を免れた約8000人も10年程度から無期懲役にいたる服役を命じられたとされる[2]。そのうち確実に共産党員であった者は900人ほどで、その他約9000人は冤罪であったとされている[2]

1987年の戒厳令解除に伴う民主化後、弾圧の根拠となった懲治叛乱条例は1991年に廃止され、内乱罪について定めた刑法第100条も1992年に修正されたことで、戦後の台湾における白色テロはこの時点で正式に終了したとされる[2]。しかしながら、冤罪による補償と名誉回復は2018年時点でも完了しているとは言い難い[2]

中華人民共和国建国後に展開された台湾での白色テロは、内戦下の中華民国の防衛という国家の安全保障政策において必要な措置であり、共産スパイ摘発の過程で生じた冤罪による多くの犠牲者はやむを得ないというを中国国民党側の認識もあり、補償への対応が出遅れたことも理由に挙げられる[2]。また、被害者およびその遺族による団体間でも歴史的位置づけを巡って意見の相違がある[2]

2018年、行政院に促進転型正義委員会が設置され、真相究明が期待された[2]

主要な白色テロ

ヨーロッパ

アジア

アメリカ

脚注

  1. ^ 香港で相次ぐ「白色テロ」 中国に批判的な活動家や政治家らが標的に - ウェブアーカイブインターネットアーカイブ、2020年7月3日)
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 菅野敦志. “白色テロ”. 早稲田大学. 東アジア歴史紛争和解事典. 2024年2月3日閲覧。
  3. ^ a b c 松尾章一『関東大震災と戒厳令』吉川弘文館、2003年。ISBN 978-4642055628 
  4. ^ 右翼学生調査に文部省着手 問題は愛国学生連盟東京朝日新聞 1932.3.20 (昭和7)、神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫

白色テロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 07:49 UTC 版)

ミゲル1世 (ポルトガル王)」の記事における「白色テロ」の解説

ミゲル支持者反対派告発する過剰な熱意は、ミゲル治世を暗いものにした。1829年3月6日のw:Cais do Sodréの自由主義派暴動では、モレイラ准将彼の将校支援者は皆銃剣振るった5月7日反乱起こしたポルト駐屯兵らは処刑された。いくつかのケースでは地域住民がこれら恐怖報復措置貢献した。ヴィラ・フランカ・ダ・シラのように、自由主義シンパ感じたもの70人の暗殺した例もある。これらの行動ミゲル大臣によって否認されたが、バスト伯はその一人ではなかった。ケルス子爵医者ミゲル親密友人である彼でさえw:Alfeiteへ亡命した報復殺人異口同音に叫ぶを者らと一緒になるために。しかし、母后自由主義者への攻撃支援継続し王権強化のためにこれら行動に意欲的であった1830年4月7日に、彼女が死去したのちも、多く残虐行為が、ミゲルの名の下で継続され、それらの中にはポルトガル政治介入する外国対するものもあった。

※この「白色テロ」の解説は、「ミゲル1世 (ポルトガル王)」の解説の一部です。
「白色テロ」を含む「ミゲル1世 (ポルトガル王)」の記事については、「ミゲル1世 (ポルトガル王)」の概要を参照ください。


白色テロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 15:46 UTC 版)

百日天下」の記事における「白色テロ」の解説

フランスではルイ18世王位復帰したが、百日天下経たことで王党派ボナパルティストとの溝がいっそう深まりその後3年にわたる白色テロを引き起こすことになった。白色テロは、当初戦争犯罪を問うものであったが、次第逸脱していき、反勢力への弾圧へと移行していった。こうした白色テロを陰で扇動したのは、王弟アルトワ伯とルイ16世王女マリー・テレーズであったと言われている。[要出典] 6月28日ルイ18世は、カンブレー宣言発し、自ら進んで簒奪者であるナポレオン仕えた人物以外への大赦行った。 まず、警察大臣就任したフーシェ百日天下協力者57名のリスト公表した。これにはカルノーネイスールトグルーシーカンブロンヌらが含まれていた。彼らのうちネイ処刑され1815年12月7日)、他の多く追放となった。ただ皮肉なことにフーシェ自身は、国民公会議員であった際に、ルイ16世処刑同意したことから、王党派追及により失脚している。 次に王党派即決裁判所を設置して追及の手広げた。これにより断罪されボナパルティストは九千名にのぼり、うち3分の1死刑とされた。さらに、当局黙認したことで、無頼の徒によるボナパルティストへのリンチが半公然と行われた当局がこれらの弾圧歯止めをかけたのは、1818年になってからだった。[要出典]こうした行き過ぎは、後の七月革命1830年)の遠因ともなった1815年8月2日ブリューヌが、アヴィニョン訪問中に暗殺され遺体ローヌ川投げ込まれた。8月19日には、シャルル・ド・ラベドワイエール銃殺された。12月7日ミシェル・ネイ叛逆者として死刑宣告され銃殺された。

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