白沢図
白沢図
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 07:26 UTC 版)
伝説によれば、中国最古の王、黄帝が東海地方を巡行したおりに、恒山に登ったあとに訪れた海辺で白沢に出会った。その時黄帝に1万1520種に及ぶ天下の妖異鬼神の知識について語り世の害を除くため忠言した。黄帝はそれらの知識を部下に書き取らせた。こうしてできた書物を『白沢図』という。ここでいう妖異鬼神とは人に災いをもたらす病魔や天災の象徴であり、『白沢図』にはそれらへの対処法も記述されており、単なる図録ではなく今でいうところの防災マニュアルのようなものである。 伝説の真偽がどうであれ、『白沢図』という書物は古代中国に実際に存在した。しかしながら、北宋代に散逸してしまった。ただし、逸文がいくつか残っており、さらに20世紀初頭、莫高窟から出土した敦煌文献のなかには『白沢図』と関連する図画(白沢精怪図(中国語版))が見つかっている。それらを参考材料として、現代の学者によって『白沢図』の復元が試みられている。 以上のような『白沢図』とは別に、唐代以降の中国の民俗宗教では、白沢そのものの図画が厄よけ(辟邪絵)になるとして信仰された。日本でも江戸時代には、旅行ガイドブックに描いて道中のお守りとして身につけたり(八隅蘆菴『旅行用心集』など)、病魔よけに枕元においたりした。
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