白山比め神社とは? わかりやすく解説

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しらやまひめ‐じんじゃ【白山比咩神社】


白山比咩神社

(白山比め神社 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/15 04:25 UTC 版)

白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)は、石川県白山市三宮町にある神社式内社加賀国一宮旧社格国幣中社で、現在は神社本庁別表神社


注釈

  1. ^ 日本文徳天皇実録 巻五 仁寿3年(853年)10月条、類聚国史 巻14 神祇14 神位2 参照
  2. ^ 海で位置を確認する目印のこと、国土交通省 都市・地域整備局 離島振興課 解説ページ:「山だめの島」参照
  3. ^ 社伝、御贄講協賛漁協の由緒談話 より
  4. ^ 「石川新情報書府」サイト 参照。石川のすがた - 暮らし - 白山之記(白山の暮らし)白山の語り部:「白山信仰と白山比咩神社を語る」
  5. ^ 現地 白山市白山町古宮公園内 用水取水口案内図中の第五取水口の下流側にあたる、白山市鶴来地区の舟岡山麓近い手取川右岸地域
  6. ^ 現在の古宮公園の森の名。
  7. ^ 「白山之記」参照:場所はそれまでの鎮座地 手取川扇状地の扇頂右岸の地 白山市鶴来地区からは九重塔坂上の岩壁高台がある白山市白山(しらやま)町の森(標高110m)
  8. ^ 「白山之記」(1163年)参照:以下( )部は原文の小字・カナ・補注記。空白部は原文の闕字および空白、改行。「一、白山本宮(本地十一面観音) 霊亀元年(ニ) 陮他現給殊(ニ)有勅命被造立四十五宇(ノ)神殿佛閣 被奉免若丁神講田等  鎮護国家壇場(ニ)被定貴者 嘉祥元年(戊辰)也 凡公家造替屋々宝殿拝殿彼岸所  本宮社 政所 大倉 本所倉 傍官倉(本地ヒ沙門 遮那佛) 糟神 瀧宮(本地不動)各寶殿三宇 拝殿 同祓殿  禅師宮(本地地蔵) 宝殿 拝殿(アリ) 講堂 剱講堂 西堂 東堂 十一面堂(法花常行堂) 新十一面(五堂) 馬頭堂 新三昧堂等 御内八堂 鐘楼 武徳殿 五重塔 四足門 廻廊等四十余宇(ノ) 舎屋内也(委ハ造営注文在之)」
  9. ^ 日本文徳天皇実録 巻五 仁寿3年10月条、および 類聚国史 巻14 神祇14 神位2 参照
  10. ^ 日本三代実録天安3年(859年)正月27日甲申条 参照:加賀国白山比女神 正三位(貞観元年。貞観への改元は4月16日付)。
  11. ^ 左経記」参照。 寛仁元年(1017年)9月20日条、10月2日条 内閣文庫本等
  12. ^ 左経記」参照。 寛仁元年(1017年)10月2日条
  13. ^ 小白山神社(小川町)。祭神は白山御子神・八幡大神。白山本宮による奉幣が隔年に斎行される。
  14. ^ 公式ホームページ
  15. ^ 「白山之記」
  16. ^ 「神道の基礎知識と基礎問題」神社新報社 参照:神道史の概観 2 平安の盛時 神仏習合と修験道・陰陽道
  17. ^ 「神道の基礎知識と基礎問題」神社新報社、参照:神社と施設 2 神社の境内 境内の概念)
  18. ^ 「白山之記」参照:長寛元年(1163年
  19. ^ 「神道の基礎知識と基礎問題」神社新報社 参照。神道史の概観 8 修験道と神道
  20. ^ 「白山之記」参照:延喜式神名帳に掲載、云々の項
  21. ^ 『神祇史綱要』 宮地直一著(国立国会図書館デジタルコレクションの28-29コマ参照、明治書院、大正8年)、・「白山之記」長寛元年(1163年)、・「元亨釈書虎関師錬元亨2年(1322年):釈泰澄及び白山明神の項、
  22. ^ 「日本高僧傳要文抄」第二 尊意
  23. ^ 「元亨釈書」白山明神
  24. ^ 「元亨釈書」釈泰澄
  25. ^ 「平家物語」 参照。巻7:神輿は日吉大社に祀られた。神輿は路上に放置され京都市内神社に祀られた。金剱宮社伝では金剱宮の神輿は持ち帰った。
  26. ^ 「石川新情報書府:石川のすがた - 暮らし - 白山之記」 現代訳の項目における前書き 参照。
  27. ^ 正和2年(1313年)成立。宇佐神宮の4つの神宮寺院を統括する学頭職を勤めた学僧 神吽(しんうん)の手による古伝宣託の編纂書
  28. ^ 「元亨釈書」巻17 神仙 法蔵館蔵版、元亨釈書和解(済北沙門 師練 撰 和解 洛東比丘 恵空 和解)
  29. ^ 「白山宮荘厳講中記録」参照。文明12年(1480年)10月16日 當社炎上:古宮の参詣道であった九重塔の坂下 白山市鶴来今町付近
  30. ^ 「白山宮荘厳講中記録 参照。文明12年(1480年)10月:京都注進に出立
  31. ^ 表参道駐車場「祭典掲示板」
  32. ^ 石川県史 宗教 慶長10年(1605年)9月27日 北村三郎右衞門入道宗甫 記 白山比咩神社文書 参照
  33. ^ 社伝 参照:社の柱に良材を得るまでに年月がかかり遅れ、良材の流木を得て竣工した、と云う
  34. ^ 「白山史図解譜」 金子有斐 1821年以前 図 参照:鳥瞰図内に白山比咩神社と本地堂記入
  35. ^ 「石川県史」参照。第三編 第三章 學事宗教 第十節 佛教 天台宗:518 ~ 519ページ
  36. ^ 石川県神社庁ホームページ 参照
  37. ^ 曲亭馬琴(滝沢馬琴)作 南総里見八犬伝 第6輯 卷之5 第61回 敲柴門雛衣訴冤枉 辨故事禮儀告薄命
  38. ^ 東京国立博物館 収蔵品情報データベース 参照:金銅十一面観音坐像も境内に埋めた。
  39. ^ 「神道の基礎知識と基礎問題」神社新報社 参照。神社と施設 2 神社の境内 境内の概念
  40. ^ 「白山宮荘厳講中記録」 参照。
  41. ^ 江戸時代前期、白山本宮での古伝雑事文書
  42. ^ 「加賀一ノ宮郷土誌」一ノ宮公民館 参照
  43. ^ 国土地理院 地理空間情報ライブラリー 地理院地図電子国土Webのレーザ標高データ 参照、以下同じ:奥獅子吼頂上から遥拝する白山は南南東方向の県境にあり、七倉山(標高2,557m)を左下に従えた御前峰(標高2,702m)と大汝峰、剣峰、西方向右手に離れた別山(標高2,399m)。南西方向県境に大日山(1,368m)。
  44. ^ 「石川県史」 参照:第二編 第三章 加賀藩治恢弘期 第三節 白山爭議 白山嶺上神祠の修營 384ページ
  45. ^ 白山宮荘厳講中記録 参照:同時期の編年体史料
  46. ^ 白山禅頂私記(しらやまぜんちょうしき)参照:白山本宮が全焼衰亡した1500年頃、当時加賀一向一揆支配の下、勧進を願い読み聞かせのため神仏縁起由緒・白山参詣現世利益を一冊にまとめた書
  47. ^ 「白山宮荘厳講中記録」参照:による説明
  48. ^ 「白山宮荘厳講中記録」および「白山諸雑記」
  49. ^ 肥後国(熊本県)人吉藩の相良氏法度 36条 参照
  50. ^ 以下、「石川県史 第二編 第三章 加賀藩治恢弘期 第三節 白山爭議」を参照:関係文書は、加賀藩では「御直封白山爭論一件」と名づけ関係地図数枚と共に箱に収納、代々機密書類扱いで管理され、明治5年に白山の過去経緯調査の際に世に出た、と云う。
  51. ^ 石川県史 第二編 第三章 加賀藩治恢弘期 第三節 白山爭議 参照
  52. ^ 石川県史 第二編 第三章 加賀藩治恢弘期 第三節 白山爭議 大工 太郎兵衞書付(当時の横江、今の金沢市郊外 石川県白山市横江町に在住、と記す)報告書 参照:「島(桑島)・牛首・風嵐村(白峰)の3村が尾添村に使いをし、『白山頂上室の建立で杣取(そまとり:ここでは森林を伐採・製材し、さらに神祠建設材木として供給するため資材を白山頂上へ運搬する中心的な役割)をこちらに案内もなく尾添が杣取するのはおかしいです。「加賀国白山」とは昔から紛れないけれど、室町幕府の先例規定では尾添が神祠を修理するけれど、同じく先例では杣取は当方から、が規定なので神祠造立の日程を知らせてくださるべきです』という申し入れがあり、それに尾添村から『私どもは日程は知らないので金沢奉行所に行って伺ってくださいますように』と返事。そのまま杣取・神祠の造立支度を進めて白山山頂で争議行為に及んだ、と記す。
  53. ^ 石川県史 第二編 第三章 加賀藩治恢弘期 第三節 白山爭議:嶺上神祠造營の勅許 参照
  54. ^ 「綸旨」参照。寛文6年(1666年)3月1日:「賀州白山禅頂(加賀国 白山山頂)・その権現七社惣長吏職の事、専ら神事祭礼勤行等を存知る可し。造営の事、都と鄙(=田舎)は奉加に勤め、再興の功に励み神妙なるべしの旨、天気候う(=天皇の思し召しなさる)所なり。仍って執達 件(くだん)の如し。 寛文6年(1666年)3月朔日 右中辨(光雄)(捺印)  (宛先)白山七社惣長吏法印御坊」
  55. ^ 同「綸旨」 参照。文書の宛先:長吏は神祇の白山本宮と神宮寺の白山寺を統括する役で白光院僧を兼任。惣長吏は白山七社を統括。
  56. ^ 北国新聞 2008年10月11日 記事 参照:「白山信仰を世界に発信 白山比咩神社の御鎮座2100年式年大祭」等。
  57. ^ 読売新聞 2010年7月23日:「白山市長の神社式典祝辞、最高裁「合憲」判決」。以下同じ。
  58. ^ 安土桃山時代。この年、豊臣政権の加賀藩祖 前田利家は朝廷官位を初叙。
  59. ^ 公式ホームページ参照:「前田利家奉加帳」
  60. ^ 「白山史図解譜」金子有斐(1821年頃)参照:加賀藩前田家が社の経営をみた、と云う。
  61. ^ 本殿を後方に数m移築、幣殿・拝殿増改築竣工
  62. ^ 公式ホームページ参照:昭和天皇が境内の杉から採取した杉の種を植えて育った「お手植えの杉」を3本移植して神木としている、と云う。以前あった古い三又杉の神木が台風暴風で倒され、当時の拝殿屋根を切り落としたため。
  63. ^ 公式ホームページ参照:六角亀甲は長寿。亀甲の太さの七五三は三つ子持ちで親子孫の家運長久。瓜は古代の珍果・高級果実で捧げることで崇敬を表す、と云う。
  64. ^ 公式ホームページ参照:表参道は老齢者には困難のため。
  65. ^ 現地の樹木 参照:近年シロアリの食害を受け、樹木医の治療必要な状態。
  66. ^ 「白山史図解譜」金子有斐(1821年頃)参照:江戸時代の白山比咩神社 鳥瞰図。
  67. ^ 現地 古宮公園にある「水戸明神社の由緒板」 参照:水戸の神は速秋津比子・速秋津比売、二柱一対の神の二神の総称。白山(しらやま)町の安久濤の森に鎮座。手取川扇状地全体を潤す、手取川水系の七ヶ用水・宮竹用水の守護神神社、と云う。
  68. ^ 公式ホームページ 参照:春と秋に白山水系水利関係者参列し式典を斎行、と云う。
  69. ^ 公式ホームページ 参照:古代にはこの丘の南の山頂に「まつりのにわ」があったとされる。
  70. ^ 公式ホームページ参照:神社の境内案内を受ける。明治36年 手取川用水路掘削工事のため現在地に移設。半跏地蔵尊で平安期ごろには多かった様式。環境庁 石川県による現地の由緒説明板 参照では、中世16世紀初めの「白山禅頂私記」にも登場する、とする。
  71. ^ 現地 神祠内の「社号額」と「白山比咩神社縁起の由緒板」を赤外線カメラ撮影参照:古くなり字の消えた由緒板文章には、白山比咩神社縁起、箸を捧げて歯痛に効く話、この地蔵尊は白山御宮の禅定道を守り、流れる水に死骸が流れると氷雨天災があるので白山比咩神社の神饌を調理した水だけ流れるこの場所に遷座した、と云う。
  72. ^ 白山市鶴来今町の自然石磨崖仏「波切不動尊」現地由緒板を参照(以前この地蔵尊の隣に並び鎮座):明治の手取川水系水利事業用水路の西洋式工事で粉砕決定し、数度の爆破を受けても壊れなかった奇瑞があり、人々が畏れて切り出し祀った、と云う。
  73. ^ 国土地理院 地理空間情報ライブラリー 地理院地図電子国土Webのレーザ標高データ 参照:坂下の九重塔の鶴来地区はこの川面から5mの高さ。
  74. ^ 現地 白山市白山町 古宮公園 石川県・白山市教育委員会説明板 参照:14世紀後半 南北朝時代。白山比咩神社が昔あった森で、1996年に白山管理センターの地を発掘して1700枚余りが出土。祭や儀式に使い捨てたかわらけ(素焼きの小皿の杯)で、約600年前の人たちも手取川を臨むこの場所を清浄な場所としていたと推定し、例のない遺構として移転復元
  75. ^ 「白山之記」参照:旧北陸道に白山比め神社の総門があった社「神符小河」、と云う。
  76. ^ 現地案内石板 参照:祭神の八幡大神は現在地に遷座の際に合祀された、と云う。旧社地は遠く沖合の海中にあり、中世に内陸だったこの地に遷座したが、現在再び海岸近くになった、と云う。地理上、小川町は手取川扇状地 扇央稜線上の海岸・加越沿岸近くにある。
  77. ^ 表参道の祭典掲示板の8月参照、現地 堂内由緒文参照:毎年8月17日に常例祭。江戸時代中頃まで門前の宿場商業地にあった、と云う。河濯尊像は水火の難に度々あい天文3年(1738年 戊午)に大きく修復した、と云う。明治時代は表参道脇の旅館料理屋脇の小祠に鎮座していたが、そこでも二度の不審火災に逢い、この地に遷座、と云う。
  78. ^ 午前0時 若水を神前に供える
  79. ^ 年明け 新年を告げる太鼓と共に向拝にて神職が新年の祓い
  80. ^ 午前0時に拝殿で祈祷し新年の祓い後、宮司から新年の挨拶
  81. ^ 白山市鶴来地区(旧鶴来町)小堀酒造店の南部杜氏たちが行う。午前0時過ぎに、下帯姿を整えた蔵人たちが酒蔵を出発。極寒の最中に酒樽を担いで約2キロ離れた神社へ参り、拝殿前で手を合わせ、酒造り唄を奉納した後、参拝客に清酒を振舞う。
  82. ^ 歳旦祭は午前。年始に皇室安泰と国の隆盛、世界平和を祈る
  83. ^ 古代 国司・国守(行政の長)の日本伝統に倣い、皇室繁栄と国家隆昌、人々の安寧を祈願
  84. ^ 元始祭は午前。天孫降臨に始まる国の大元を寿ぎ、皇室繁栄と国家隆昌を祈る
  85. ^ 仕事始め参拝は生業繁栄・商売繁盛・社運隆昌を祈る。官公衙・会社・事業所・各団体関係者の参拝
  86. ^ はしご登り奉納は白山市南消防団林分団による
  87. ^ 無事故安全祈願駅伝はJR西日本金沢支社社員による
  88. ^ 左義長祭は午前。小正月伝統行事、古式に則り火鑽り轆轤で熾された忌火(いみび)を松明に移し神職先導で「どんど」に点火。どんどに手を合わせ一年の無病息災を祈る
  89. ^ 紀元祭は建国記念日 午前。祝詞奏上、舞女(まいひめ)は悠久の舞を奉奏、神武天皇建国大業を仰ぎ皇室の隆昌と国家の安泰を祈る
  90. ^ 祈年祭は午前。春、農作物の生々化育を祈り一年の五穀豊穣・生業繁栄を祈る。祝詞奏上、氏子から献幣使の祭文奏上、舞女(まいひめ)による「浦安の舞」奉奏、秋の豊作を祈る
  91. ^ 下種祭は幣殿で神饌田奉耕の田長に委嘱状並びにイセヒカリの忌種(ゆだね)を授ける
  92. ^ 豊年講春季大祭は、白山の水の恵みに感謝し五穀豊穣と農作業の安全を祈る。手取川の七ヶ用水、宮竹用水、白山麓から各水利・農業関係者や豊年講世話人のまめ人たちが参列。祝詞奏上、豊年使の祭文奏上に続いて舞女(まいひめ)による浦安の舞の奉奏。手取川の扇状地は現在、石川県内最大の穀倉地帯となっている。かつてこの手取川扇状地の扇央地域は、伏流水が湧き上がる海岸近くの扇端地域と渓川の水が流れ入る両端里山の麓周辺以外では米が作れないほど水はけが良すぎたが、現在は七ヶ用水と宮竹用水のおかげで豊かな穀倉地帯に発展した。
  93. ^ 1年に1度、参集殿神殿に鎮座する大神様に結婚式を始めとする参集殿・遊神殿に集う人々の安全を祈る常例祭
  94. ^ 鎮火祭は午前。古式に則った鎮火の神事で一年の防火防災を祈る。神職による大祓詞奏上のなか神前で護摩木が焚かれ、水・砂・川菜(芹)による「鎮火の儀」を行う。消防関係・氏子自警団関係者参列。続いて三宮自警団の出初式が行われ放水訓練と消火設備点検実施。鎮火祭は奈良時代から始まったと伝わる。
  95. ^ 境内社の荒御前神社の常例祭
  96. ^ 鎮花祭は午前。花を鎮めることで疫病を防ぐ祭り。神饌と桜の花が供えられ、舞女(まいひめ)は桜の枝を手に「白山舞」を奉奏し、疫病の神を鎮めて無病息災を祈念。古来より春の花が咲く春先の時期には疫病が流行すると信じられていた由来から。
  97. ^ 昭和の日は、花の冠に花束で舞女(まいひめ)が「悠久の舞」を奉奏、波乱と激動の時代を経て終戦後復興を遂げた昭和の時代を顧み、我が国の繁栄を築き上げることが出来たのは昭和天皇の大御心と昭和時代の先祖たちの努力の賜物と顧み、皇室の隆昌と国運の発展を祈り国の将来に思いをいたす。
  98. ^ 白山比咩神社創祀之地顕彰祭は、舟岡山の丘の上での寄進顕彰祭。舟岡山は崇神天皇7年(前91)に「まつりの庭」が設けられた創祀の地。
  99. ^ 献幣使を石川県神社庁から迎え、祝詞奏上、献幣使の祭文奏上、舞女(まいひめ)4名により「浦安の舞」を奉奏。神徳に感謝を捧げ、皇室弥栄、国の隆昌と世界の共存共栄、崇敬者の安寧を祈る。古くは国司(当時の県知事)も参列していた由緒ある祭事。古例を受け継ぐ特殊神饌の「梅枝糕(うめがえもち)・口型餅(くちがたもち)・舌型餅(したがたもち)・寄餅(よせもち)」が御饌・神酒・海の幸・山の幸とともに供えられる。
  100. ^ 御田植祭 水口奉幣と御田植の儀。奉耕田の斎田で地元子どもたち奉仕の早乙女が紅白の装束に身をつつみ神宮より拝受した「イセヒカリ」早苗を太鼓の音と田長のかけ声に合わせて植え、五穀豊穣を祈願。平成13年に伊勢神宮からイセヒカリの籾種(もみだね)を拝戴して以来始められた祭り。この稲は秋の抜穂祭で収穫されたあと、当社の祭典に神饌としてお供えされ、新嘗祭に供えられ、さらには「懸税(かけちから)」として伊勢の神宮に奉納される。
  101. ^ 水戸明神 春祭は安久濤の森で斎行。手取川の河畔 旧鎮座地、安久涛の森(古宮公園)にある水戸明神社で水利祈願し、水の神への感謝と秋の豊作を祈る。鈴扇の舞を奉奏。手取川水利事業の土地改良区関係者参列。
  102. ^ 御贄講大祭(みにえこう)は毎年6月第1土曜日 午前に、漁業関係者が白山比咩神に大漁満足と海上安全を祈る祭。平安時代 長和5年(1016年)に加賀の7つの湊からの御贄(みにえ)(魚などの貢ぎ物)があったのが起源と社伝に伝わる。白山は古来より日本海上における「山だめ」の指標とされ、航海・漁業の守護神として崇められてきた。
  103. ^ 古遷座祭は、古い時代に当社が元正天皇の詔によって十八講河原から安久涛の森に遷座した記念日の祭り。敬老祭は、同じく古きを偲ぶ趣旨から一ノ宮地区の氏子の長寿者を招く祭りで、直会で大正琴の演奏や舞踊を披露。
  104. ^ 夏越大祓は当日午後の式典。茅の輪くぐりは7月2日まで。日頃、無意識に犯している過ちや罪穢れを祓い清め、明るく楽しく、大晦日まで健康に過ごせるように祈り参拝。境内社頭に「茅の輪」が設けられ、参拝者らは神職とともに常日頃知らず知らずの内に犯している過ちや、身に付いた罪・穢れ・災いを人の形をした紙の人形(ひとがた)で身を撫で息を吹きかけて移し、古歌「白山(しらやま)の 夏越の祓する人は 千歳(ちとせ)のよわい 延ぶというなり」を唱えつつ、茅の輪を左・右・左と三度くぐる。
  105. ^ 白山御安泰登拝安全祈願祭は白山登拝口の別当出合で斎行。白山比咩大神に地震、水害、火山活動等の自然災害がないよう霊峰白山の安泰を祈願し、併せて今シーズン登拝安全と白山の恵みに感謝の祈りを捧げる。
  106. ^ 奥宮祈祷殿(白山天嶺の室堂平)で斎行。登拝者の道中安全また身体健全を祈る。
  107. ^ 斉田の害虫駆除と秋の豊作を祈る
  108. ^ 開花祭は午前。県内外の花卉生産・流通・販売の関係者が出席し、花関係者を献幣使に迎え、花への「つくる喜び」・「売る喜び」・「飾る喜び」を白山比咩大神様に感謝する祭り。色鮮やかに美しい花々が奉納される。拝殿や向拝には色鮮やかなフラワーアレンジメントが供えられる。
  109. ^ 白山奥宮大祭は朝。奥宮祈祷殿(白山天嶺の室堂平)で斎行。泰澄大師が白山を開山した白山開山の記念日(旧暦の6月18日)の大祭で、白山比咩大神の御神徳に感謝を捧げ、皇室の弥栄と国の隆昌、白山登拝者の道中安全と身体健全を祈る。大祭では、宮司の祝詞奏上の後、舞女(まいひめ)による神楽「浦安の舞」が奉奏される。登山し、宮司の玉串拝礼、参列者が玉串拝礼する。
  110. ^ 虫送り行事は、氏子の三宮・白山両町内の子供達が参加。子供達は神社を参拝後、忌火(いみび)のついた松明(たいまつ)やでんでん太鼓を持ち町内の田んぼを練り歩き、害虫の駆除と秋の豊作を祈念。
  111. ^ 午前 白山から流れる水の恵みに感謝の誠を捧げ、あらゆる命の親神を称え、白山水系の益々の発展を祈る。
    • 神賑行事として8月14日に奉納弓道大会、8月16日に奉納剣道大会が行われ神社の多目的施設で日ごろ鍛えた技を競う。
  112. ^ 写生大会は白山比咩神社の行事の中で、終戦後昭和24年(1949年)からの歴史がある行事。写生大会は4月中旬~9月初旬まで開催され、9月中旬に奉告祭、並びに表彰式が執り行われる。
  113. ^ 旧鎮座地古宮公園の安久濤の森に鎮座する水戸明神の秋祭りを斎行。旧鎮座地安久濤の森(古宮公園)に鎮座する水戸明神の秋祭で、水利事業・用水関係者が今年の水の恵みに感謝の誠を捧げる。昭和29年に用水の守護神として社殿が建立され、毎年春と秋に祭典が執り行われる。
  114. ^ 白山まつりは、当社氏子の白山町の秋まつり。早朝に社頭で白山町青年会による加賀獅子舞奉納。
  115. ^ 抜穂祭は午前から。早乙女の装束に身を包んだ小中学生が田長の掛け声に合わせ忌鎌でイセヒカリの稲穂を収穫。刈り取られた稲穂は田男(さおとこ)たちにより調製されて神前に供えられ、11月の新嘗祭をはじめとする祭典で神前に供えられるほか、伊勢の神宮へも「懸税(かけちから)」として奉納する。
  116. ^ 豊年講秋季大祭は前後2日間の、午前。実りの季節に手取川流域の七ケ用水・宮竹用水・白山麓の人々が集い、水源地である白山の水の恵みに感謝を捧げる祭り。神前には各地で育て収穫された初穂米が山の様に供えられ、舞女(まいひめ)により稲穂を手にして舞う「悠久の舞」が奉納される。白山から流れる手取川の水を引いた「七ヶ用水」「宮竹用水」の恩恵に与る加賀平野一円の農家が講員として参加。前の日には、手取川七ヶ用水土地改良区からの参列で 豊年使から祭文を奏上し、後の日には、手取川宮竹用水土地改良区と白山麓からの参列で 豊年使から祭文を奏上し、右岸の七ヵ用水・左岸の宮竹用水と上流の白山麓から白山比咩大神への感謝と更なる加護を祈念。
  117. ^ 「七五三詣で」は子供たちの無事な成長を祈る祭り。11月中。
  118. ^ 明治祭は明治天皇を紀念する祭り。明治天皇の聖徳を仰ぎ、皇室弥栄と国運隆昌、文化・産業のさらなる発展、平和繁栄を祈る。氏子および一般祈祷者が参列し、神前に菊の花を供え、宮司祝詞奏上、舞女(まいひめ)により「悠久の舞」が奉奏される。
  119. ^ 新嘗祭は重要な祭典で、神様に加護と恵みで今年も無事に新穀実りを収穫できたことへの感謝の誠を捧げる祭り。10月の抜穂祭で奉耕田で収穫されたイセヒカリを和稲(白米)・荒稲(玄米)に調整し、粟・黍・麦・小豆とともに五穀として供える。祝詞奏上、氏子代表による献幣使の祭文奏上、舞女(まいひめ)により「浦安の舞」が奉奏される。
  120. ^ 大注連縄は太さ約80センチ・長さ8メートル・重さ約300キロ
  121. ^ 煤払祭の後、氏子青年会により向拝に大注連縄の張り替え、取り付け奉仕。
  122. ^ 新年を迎える準備。生業繁栄・醸造満足を祈り、菓子・酒・清涼飲料水・醤油・味噌・漬物・海産物の奉納。提灯の奉納により初詣の社頭を飾る
  123. ^ 茶道関係者を迎え、祝詞奏上、「献茶の儀」奉仕。神前に濃茶・薄茶が供えられ、神徳への感謝と茶道の一層の発展を祈る。神社各施設、協賛展観席でお茶席が設けられる。

出典

  1. ^ “紡がれた悠久の時を寿ぐ 白山開山1300年記念奉祝大祭のお知らせ”. 白山比咩神社ホームページ. http://www.shirayama.or.jp/topics/h29/t2913.html#t 2017年8月10日閲覧。 
  2. ^ 百地章「白山比め神社奉賛会発会式」市長参列訴訟の問題点 」(日本法学 第78巻 第4号 2013年3月)、[1]田近肇「宗教法判例のうごき[平成22年・公法]」(宗教法学会 2010年)、安藤高行政教分離原則に関する最高裁の2つの判決 -砂川政教分離訴訟判決と白山比咩神社大祭奉賛会事件判決-」(九州国際大学法学論集第17巻第3号 2011年3月)、飯野賢一「白山比時神社大祭の奉賛会発会式への市長の参加・祝辞と政教分離」(愛知学院大学 宗教法制研究所紀要第51号 2011年1月10日)
  3. ^ a b 白山比咩神社、方位盤を山頂から境内移設 雷で破損、歴史や自然物語る - 2023年12月29日、北國新聞
  4. ^ 指定年月日は文化庁監修『国宝・重要文化財大全』別巻(所有者別総合目録)(毎日新聞社、2000)による。(以下の重要文化財各件についても同様)
  5. ^ 平成15年5月29日文部科学省告示第103号


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